ヤングケアラーとライトヤングケアラーは別問題。


ちょいちょい気になってた

ヤングケアラーについて。


たぶん相当負担が大きい場合を

ヤングケアラー問題としてると

認識してるんですけどね。


みんな家族がそれぞれ

できることを分担して

みんなでケアしてるのは

この問題には当てはまらない。


ワタクスもかつて当たり前に

学生時分に家にいる時は

家族の世話というか

当たり前の協力をしていた。


核家族化が進んで

わずらわしさが解消され

好きなことをしていたい

自分のためにすべきことを優先

そういう人が増えている。


自分のことだけでも精一杯。

たとえ家族であっても子に

余計な負担をかけさせたくない

と考える親も出てきている。


ケアラーは普通の家族間の

協力や分担する役割を

苦もなくやる人も含むのか

といえば、違うだろう。


むしろ祖父母なんかの世話を

可能なかぎりすることは

大切な経験である場合が多い。


人間的な気づきというか

やさしくしようとする心を

自然に学べるのだから。


社会に出ても祖父母などと

あまり関わりのない子どもは

おじいちゃん子、おばあちゃん子

と比べると、なんだか心が無い。


この手の問題は社会全体が

進むペースを変えないで

迫ってくる点に問題の根幹がある。


このペースで乗ってきたんだから

このペースについてこれないヤツが

悪いみたいに雰囲気をつくる。


人が社会のスピードやペースに

無理矢理でも合わせていかないと

乗り遅れてしまうよという強迫観念で

受け皿側の許容の狭さの問題だ。


どちらかというと

決めた事柄に対して

従順で素直に強制されるのも

いとわないでついていこうと

日本人はしてしまいがちだ。


そのシビアな争いを勝ち抜くため

周囲も邪魔しないようにしようと

してしまいがちでしょ?


ただ社会に出ると

妙な逆転現象が起こる。


この手の必要なことだけを

うまくこなしてきた人は

案外、駒扱いで止まってしまう。


いろんな人と関わりながら

幸不幸をまんべんなく経験し

ストレス耐性が身についた人。


人の心の自然な触れ幅に

ナチュラルに対応することが

身についている人のほうが

信頼されやすくなる。


面白いもんで

そうなんですよね。


必要なことだけこなしてきた人

キャリアとしてこなす活動も同じで

心がちょっと足りないのか

妙に淡白でこなすことに重きを置く。


ボランティアをしました、

ではなくて。


それを主張することが

有利に働くからやってた

みたいな感覚がどうしたって

出てしまうんですよね。


社会のモデルに対して

合わせにいきすぎてしまう。


人との関わりの深さを経験できず

結果的に、うまくいかない。

そういう人も増えている印象。


これがいいといえば

それを絶対条件のようにこなす

「あてがいこなし人間」は

どこかで挫折してしまう

のかもしれないですね。




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