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ホト善懲サコ(勧善懲悪)


なんか、自分がしゃべった口調や

トーンとは違ったニュアンスで

他人が誇張して話してしまうこと

ってありますよね。


わかりやすく言うとお笑い芸人の

ハリウッドザコシショウの

誇張モノマネをイメージ。


ワタクシの母なんかがよくやる

「あまり仲のよろしくない」

自身の姉と会話でしゃべったことを

本人の口調を真似して話すとき。


この母が叔母さんの真似をするとき

すんげー誇張した真似でしゃべる。

ものすごい悪人を演出したがるんです。


みけんにしわ寄ってる声と悪い顔して(笑)

しわ寄ってる声ってなかなか面白いなぁ。

我ながら、いい響き。


でもなんとなくキライな感情で

3割増で意地が悪そうな、ケンカ腰。

本人(姉=叔母)とはまったく

違うトーンで他人に話すんですよ。


アホかと(笑)、偶然その場面に自分も

居合わせてて全然違う感じだったのに。

そんな言い方してねぇよ(笑)って。


怒っていないのに怒った口調で

相手に伝えようとするから

この話を聞いたアカの他人は

母(妹)から聴いた印象で、

姉をイメージしてしまうわけで。


実際のリアルな場面に居合わせたら

そんなに怒っていないし、

そんなに悪い根性も出してないし。


っていうことが、計らずしも

伝聞では誇張されてしまうんです。


わかりますよね?

この結果的やりすぎ感。

たぶんみなさんの周囲でも

いるはずですよ。


ウチの母はいくら注意しても

直りませんね。

単に相手に嫌われてるから

こっちも嫌ってしまう

という感じなんですけどね。


この誇張を毎日ご丁寧にも

やり続けているのが

ネット記事全般ですよね。


アレもそうでしょ?

実際のテレビ番組を

視聴したときのニュアンスと

文字だけでみたニュアンスでは

まったく違うっていう。


そんなきつく言ってないとか

怒ってるように見えて怒ってない。

わざとふざけてやってるとか。


流れを見るとそうでもないことを

さも、大ごとのように切り取り

報じるネット記事。


しかも批判する人は

ネット記事だけでみて批判する。


批判する行為そのものが目的で

真実はどうでもいいんでしょうね。


間違いを認めたり正したりするのが

恥ずかしいと感じてためらうんです。


これはもう、日常茶飯事で。

ネット記事は閲覧させることだけ。だけ。

ただ、簡単に規制できないでしょうから。


だから私たち受け手が大事。

彼らの話は半分で聞く習性をつける。


あえて意識しないといけないほど

油断したら取り込まれているから。


ホントに厄介ですからね。

自分の感情のバイアスが動きやすく

なんか、乗りやすくなるんです。


結果的に煽動しやすい状態をつくって

そこに悪いたくらみを

投じてしまえば大衆を操作しやすく、

洗脳しやすい状態になってしまう。

ホントに怖いですよ。


批判記事には腹立ちそうな画像を

あえて選んで載せているのはもう

みなさんご存じでしょうし。


でも受け手もいとも簡単に乗せられる。

もう完全にああいう業界の手のひら。

思うつぼで踊らされております(笑)



ちなみに昨日、雨上がり決死隊解散の

例の動画を観ました、YouTubeでね。


あの動画に対する意見についても

ネット記事で字面だけをみるのと

実際みるのとでは違う印象があります。


宮迫大嫌い、蛍原頑張ってる大好き。

この状態のコメントが予想以上に多い。

これもつくられた印象操作が強いかな。


アレもどこかでカネもらってコメントを

書いているヤカラなのかもしれませんけど。


コメントは記事を鮮やかにする効果がある。

悪いイメージはより悪く定着させるし

良いイメージはより良く定着させる。


コメント効果で生じるフィルター。

そのフィルター越しに見るかどうかは

私たち受け手次第ですからね。


批判して燃料投下して、燃やして

なんか閲覧させたい、あおるあおる。


ワタクシはあえて、死んだ目をして

そういうネット記事を見つめます。


これ結構、いいと思いますよ。

他人に見られるとヤバイ顔(笑)

気にすんな、ワシはワシじゃ。

そのくらいの気構えで。


意外に自分の顔つきや目つきって

気持ちの本気度、モチベーションに

リンクしている気がしますから。


気持ちをあえてフラットに持っていく。

そうしないと巧みな仕掛けにダマされる。


死んだ目効果、無意識にやってる人も

多いかもしれませんけどね。


見ようとする気持ちが

強くなりすぎると

あの手の記事の内容のまま

印象付けされてしまいます。


ワタクシは率直に

宮迫はいろいろとあったけど

世間が許す許さないの問題に

なんでもかんでもしすぎだなと。


あれをバラエティ番組として

楽しんで観ようとしたので

笑わそうとしてたことも笑えたし

出川やフジモンのところでも泣いた。


それでいいかなと思って。

時間が経てば変わることもあるし

いま気づけなかったことに

気づくことが、彼らにも私たちにも

当然あるだろうから。


観る側は宮迫に対して

どんな反省の言葉を言うんだ?

反省してんのか?


っていう謝罪モード要求全開の

態勢で構えて観てしまうから。


アラ探しするように

批判したくなるし、

勧善懲悪っぽくなってしまうんです。


「ホト善懲サコ」で観てる人が

多かったんではないでしょうか。


アレはアレでいい。

すごい高いレベルの何かを

無意識に要求してしまっても。

一発撮りでしょうし、2回は無理。


そのなかで感動路線、反省路線ばかり

だと視聴者は良くても芸人的につらい。


だから「しんみり感」を早めに超速で

回収して笑いにもっていってたのが

宮迫、東野、ケンコバ。

あくまでナチュラルな出川、狩野。

両方持ってたのが原西、フジモン。


あれはちゃんと「テレビサイズ」の

笑いの取り方、作り方を意識した

彼らの作品だったと思います。

偉そうですけど(笑)


番組中でも宮迫の瞬発力に対して

他の芸人も驚いていましたね。


実際、2年ぶりで「勘どころ」が

まったく違う畑にいたのに

いきなり戻ってできるのは

たいしたもんですよ(長州)


おそらく宮迫を、

必要ないから嫌うとか

批判やご時世がっていう姿勢で

嫌うのではなくて


面白くしてくれるから、使うと

いう流れを自然に取るように

なっていくのかなと。


松本人志の意見に左右されがちで

彼のOKが出ないとダメな雰囲気も

あるにはある。


ただ、みんながダメダメ言う雰囲気なとき

あえてOK出すのも松本でしょう。

逆に、をこよなく愛する男ですから(笑)


良くも悪くもお伺いを立てるのが

日本人の哀しいサガ。

今後どうなるのかは楽しみですね。


ちょっと「おかし」(可笑し、犯し

侵し、冒し)なところも宮迫。

そのギリギリを楽しむのがお笑いかなと

個人的には思っています。


もちろん彼のYouTubeは

観ませんけどね、逆に。










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