夏の終わりの地平線。
今年の夏はどんな終わりを
迎えるんだろうかね。
なんていうのか、いろいろと
急かされて、促されて。
自分の感情をどこかに置いたまま
流れ作業的に巻き込まれ。
協力させられて体力も経済力も
あらゆるチカラをみるみる奪われ
気づいたら抜け殻になるのでは?
悲観的になってしまうのは
理由がある。
偉い人が大丈夫だ、という目線が
困窮する人の目線とまるで違うから。
別の地平なのかな?(笑)
偉い人は、勘違いしている。
あとは各自でやるしかない
私たちができるのはここまでだ、
みたいな。
テイのいい平等感をゴリラの
雲鼓並みに投げつけてくる。
前提として耐えうる体力を
無意識に全員に要求している。
体力あるとか無いとかの次元でなく
準備したから、やるんだよと。
10キロマラソンを走ってもらう。
運営、医療、ボランティアなど
全部準備して、手配した。
あとは、君らの意思で走ってくれ。
こっちは、やれることは
「やってやってる」じゃないか。
何が問題があるんだ?
この理屈を並べてくる。
走る人のコンディションや気持ち
走る体力すらない、走った後の
ケアまで手が回らない人まで巻き込む。
走ったことで体が余計におかしくなる。
そんな人のことなど何も考えていない。
やってやった感を満たすため
実行しましたよという外形のため。
五つの輪っかを掲げるために。
相手の気持ちをどこかに置いて
私たちはやるべきことをやりましたよ。
そういう着地を体操内村ばりに決める。
わりとずっとこうやって日本は
動かしてきたんですけどね。
忘れてほしくないのは、
かつてのときほど
もう全体の人間が若くないこと。
若く、勢いのあるうちはなんとか
隊列から脱落せずについていける。
しかし、ほとんどの人間は老いた。
これまでの成功パターンでは通用しない。
そこを勘案したやり方ではない。
私たちのリアルな地平からは
ズレてしまっている。
どちらに合わせるべきなのか。
このままでは国は「置いていくよ」と。
いやいや私たちは「老いていくよ」と。
この平行線をたどるのだろう。
日本が抱えるすべての問題の
根幹にあるのかもしれない。
別の地平とは深い意味がありそうだ。
この送り手と受け手が
別の地平になってしまっていて
どちらに合わせていくのか。
たぶん高齢社会、行き詰まって
疲弊した国が抱える問題で
日本が世界で一番早く
この問題に直面しているんだろう。
夏の終わりの地平線。
果たして、私たちには
何かが見えてくるのだろうか。
何も見えないままなのだろうか。
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