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大局を見極められぬん。


結局、橋本なんですね。

五輪のモリの後任人事。


でも冷静になってみたら

それほど騒ぐことなのか?

という感じもする。


どこかで意見をぶつけたい衝動を

さも大事な人事と飾り立てられ、

あおられたような感覚が強い。


問題になったことで少し国民も

エスカレート気味になったけど

冷静になって考えてみると

後任人事については、

それほど騒ぐことでもない。


つくづく世論ってのは

すぐにウネリを生むんですよね。

真剣に干渉しすぎてしまう。


後任が誰かなのかは

それほど重要ではないでしょ。


結局最後は、女性蔑視の問題を

発展させることもなく

ちゃんとやってほしいですね、

って感じで収束しちゃうでしょうから。


もちろんちゃんとやってますアピール

大事だとは思いますけどね。

アピールしたところでナニ?っていう。


すぐに次のエサを探して浮遊するし。

冷めるのも早い早い。

そんな真剣でもないことが多い。


最近のネット社会の影響なのか

あとから冷静に考えてみると

それほど騒ぐことでもないのに

その後の責任もなく熱を上げて

ジャッジしたがる傾向が見えてくる。


おそらく話題になったことは

やりかけた途中で飽きて

ほっぽり出して終わる。


人事のカラクリなんて実は

私たちはあまり興味がないのに(笑)

ニュースに乗せられていく感覚を

客観視できなくなっているのでは?


誰がいいとか悪いとかについて

意見を言いたいだけの発散の場に

なってしまいがちでしょ?


最近の見過ごせない風潮ですね。

何て言うでしょう・・・


大きな流れで物事を判断できない

大局を見えにくくするような

そんな流れを作り出して大衆も

疑いもなく乗っかっていくサマ。


騒ぎたい心理状況を

冷静に切り捨てられたら

こんなに騒ぐこともないのに。


女性蔑視に端を発した注目度を

うまく手なづけられない社会みたいな。

世論がごちゃごちゃしてる感じで。


マスコミ自体が大局に立っていないし

対決構図とかお得意のパターンに

持っていこうとするだけ。

毎度この繰り返しでしょ?


アタマの良い連中とは言い難い(笑)

ワイドショー的な感覚ですね。

国民の多くも報道に先導されていく

仕方ない流れを見守るしかない。


この後任人事とかも時間が経てば

あの騒ぎはなんだったんだ?っていう

冷静になって恥ずかしさがわきあがる。


なんだろうな、この感じ。

大事な局面で騒ぎを大きくする

世間のプレッシャーによって

いろんな判断を誤らなければいいが。


後で致命的な判断ミスだったと

謝られても仕方ないんだから。


この国民総審査員的な状況においては

やっぱり全部すくい上げると

前に進まないんでしょうね。


コントロールする人がいないと。

大衆に対してマスコミなんかは

その役目があると思うんですけどね。


自分の視点を持つこと、

途中でちょっと引いた視点に

自分を合わせてみること。

やっぱり大事だなと思います。







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