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おまえが言うな。


「おまえが言うな」ってのは

興味深い現象が隠れている。


ツッコミとしての「お前が言うな」

ひとつは、お前もそうなのに

お前が言うのは違うだろ(笑)

っていう意味のツッコミ。


もうひとつは、お前「程度」のヤツが

言うな!ってツッコミがある、

って思うんです。


これはね、厄介なんですよ。

異論を受け付けないどころか、

程度の偏見、バイアスがかかる。


それなりの人が言うことによって、

正しくもすごくも、聴こえたりして。


逆に正しいことを言っていても、

お前「程度」が言うと、響いていかない。

コレ、現実としてありますよね。


この解決方法としては、

一番は自分自身のブランド力を

高めて自分の発言に

説得力をもたせること。


・・・ってだけではおもしろくない(笑)

というか、おもしろく「ならない」


自分の地位を上げないとできない

というのはよく考えてみると

ちょっとおかしくないかい?(笑)


今回は、どうやったら私たちは

新しいものを生み出せるか?

を別の角度で考えてみよう

というテーマで書いてみます。


新しい価値を「生ませる」環境を

意図的につくらないといけない。

そう考えています。


私たちが新しいものを結果的に

生み出せていない理由のひとつは、

「生ませる」環境をつくれていないこと。


だから他人のアイデアを待って、

現状のシステムに乗せて審査する。

したり顔で、どれどれ・・・と。


成功したら、他者がアレンジしたり

それをパクる作業になってしまう。

何番煎じでも恥じることはないのだ。


誰かのオリジナルをマネするのは

すごく得意なんです、私たちは。

YouTubeもSNSもすべてそうです。


でも自分からのオリジナルは

生まれない、生まれにくい。


生ませない環境、しくみに

私たちは長期滞在中だから。


一部の人、既存の審査基準を通過

した者だけェェ!!・・・新しいものを

生ませる環境を手に入れることが

できるのでございます、およよ(笑)


ちょっと「サニーさん」で

またふざけてみましたが(笑)


このしくみを無意識にみんなが

当たり前に標準化して疑わないんです。

ポイントはまさにココですね。


妙な「序列意識」をつくっていて、

両者ともに序列を意識してしまう。


これでは新しいアイデアを生ませる

生産性としてはかなり低いままなんです。


序列を突破できずに捨てられたアイデア。

たくさんあると思うんですね。


ワタクシがやりたいと思うのは、

非正規雇用者などいわゆる

「負け組」を中心とした、

「やりきってなくて、やりきれない人」


彼らが自分自身の手で挑戦する、

アイデアの敗者復活戦の環境を

できれば、全国各地につくることです。


それをお年寄りが「投資」「寄付」して

支える環境づくりができるといい。


動いていないお金が

この取り組みによって

動いていくようなイメージ。


お年寄りはもう最期のほうになると

自分たちの老後の費用の確保で

精一杯になるから、として

社会的な活動の第一線から

無意識に除外してませんか?


イメージとしては投資というよりも

寄付に近い感覚で、社会のために

違ったお金の動かし方をすることです。


既存のお金の回り方とは、ちょっと違う。

社会貢献に回してもいいお金が、

実は潜在的にあるのではないかと。


新しいお金の流れの予感や胎動を

ワタクシは感じ取っているんですが

考えすぎでしょうか(笑)


お年寄りも未来のために若い人や

下の世代の人のためにできる

「やりがい」になるんですよ。


もしかしたら見返りのない投資でも

これからを担う人財を応援する気持ち

だけで、参加する人もいるでしょう。


もちろんお金じゃなくても手伝いたい、

まだ体が動くうちになんでもいいから、

何か社会と関わって役に立ちたいという

気持ちも必ずあると思います。


投資というとカネもクチも出すのが

当たり前のイメージですけどね。


不遇を囲った者たちへのチャンス、

機会の投資、見守る支え方も

あっていいと思うんですよね。


ただ今までの考え方に寄っていくと

必ず失敗します、これは確実に。


勝ち組を外して考えるのが一番良い。

その意識や圧が伝播してしまうから。


あえて意図的にそこを外していかないと

成功はしないでしょう。


成功すると結果として

「役に立つ人」が増える。

お年寄りも役に立つし、

不遇を囲った非正規の人たちも

役立つチャンスを得る。


社会全体での各世代の活動力が

増加するんです。


というか動かしていなかったぶんだけ、

もともと潜在的にあったものに

命が吹き込まれるようなイメージ。


止まっていた潜在的な人やモノ、

お金といったあらゆる資本が動き出す。

おもしろいでしょ?(笑)


お年寄りは実は社会の役に立ちたい、

願望はあるけれど、しくみがない。


現役世代以下が

あとはゆっくりして、とばかりに

結果的に活躍の場から追い出してしまう。


長年ワタクシはこの

「ないがしろ感」からの解放こそが、

さまざまな社会問題の局面を

打開していく突破口だと考えている。


できれば団塊の世代が

不遇を重ね続けた団塊ジュニアの世代と

一緒に立て直しをはかる。


それができたら素晴らしいこと。

そう思っていたりするんです。


昭和でつくり、平成で犠牲を出して

維持してきた社会のしくみ。


人生最後にその犠牲者を救うために

尽力するのも悪くないはずです。


ただし、誰かに舵を取らせて

みんながその後についていくのでは、

既存のシステムと変わらなくなる。

このパターンで散々つぶしてきたんです。


ひとりひとりが自律的に主役として

立ち上げて一緒に動かしていく。

「個の強い意思の有機的な集合体」


これまで私たちが無意識に

落とし込みしてきた

パターン「以外の発想」で。


未完成なアイデアであっても一緒に

考えて、悩んで、失敗しながら

新しいものが生まれる環境自体を

つくり、サシの関係でぶつかり合う。


その化学反応に期待をかけてみたい。

このパターンで私たちは、

まだつくれていないでしょう?


日本以外では通用しそうなアイデアですが、

これを日本人が、あえてやるから変わる。

他の国はそれができている気がします。


やらなきゃもう根本から変わらない。

みんな「待ちの姿勢」で疲弊してるだけ。

次何したらいいの?と待っているだけ。


選抜された一流だけが正しいなら

とっくに新しいアイデアが生まれてます。


でも成功していないでしょう?

彼らには「何かが」欠けている。


一流の門をくぐれなかった

二流、三流が、同じピラミッドの

同じ少ない椅子を争うだけの現状。


果たして、人間が最大限に力を

発揮できるようなしくみに

なっているのだろうか?


非正規の人たちが公務員の採用に

殺到するのも、同じことです。


既存のパターンに「自分たちも」

入りたいという安定、安心の心理。


しかし、結果は同じになる。

入り口を広げて開放しても

中の部屋の間取りも配置も

実は、変わっていない。


いまのままのしくみでは、

変えられないんだと思います。


結局、勝ち組の構図の中に

入れさせてもらうだけで、

列の最後尾に並ぶことになるだけ。


なにも出来ないまま定年を迎える。

序列意識は厳然と残ったまま。

こびりついた汚れのように。


入り口を少し広げて

私たち(勝ち組)は

社会のために貢献しています、

というポーズは取っているけど

中身は変わっていかない。


なぜならそれまでの勝ち組たちも

自分の椅子取りで黙っていないから(笑)

なんとなくパワーゲームに巻き込まれて

なんにも出来ないまま、終わる。


この既存のしくみから漏れた

跳ね返されたアイデアの欠片を集めて

経験やステップを踏ませていく。


生ませてあげる環境づくりが

別のところに、できないものかと。


もちろんワタクシ自身が個人で、

単独で力をつけてのしあがるのも

当たり前に必要なんですけどね。


それだといつまで経っても

個人戦で、時間がかかりすぎるし、

誰かにもたれ掛かるような、

主体性ならぬ「受体性」ありきでは

何も変わっていかない。


一部の個人の優越なブランド効果だけを

よりどころにして、列を成すだけだから。


なんとかうまくアイデアを集めて

できないものかと思ってはいるんですよ。


人の意思が集まってエネルギーを

発するような集合体が。


狭い部屋の小さな椅子を

最後の黄金の椅子とあがめて争うのは

日本だけじゃないですかね?(笑)


こういう考え方にも

既存を打破するヒントが

隠れているんです。


うまく掘り下げていけば、

少しずつみんなアイデアや

自分たちでやりたい

心の芽が出始めます。


実は私たちの記憶の中には

何かのキッカケさえあれば

浮上してくるアイデアが

潜在的に隠れているはずですから。


アイデアをうまく昇華させられずに

沈殿している状態の私たちを

うまく施せていない状況なんですよ、

いまのトレンドで言うならね(笑)


一部の人に寄せられていく流れを

自分たちでつくり出せないからと、

いつも誰かがやるのを待っている。


だからいま、待っているココに

意図的に揺さぶりをかけてみたい。

難しいかもしれないけど。


使っていない筋肉を使うそんなイメージ。

可動域を広げて試してみれば、

新しい何かが生まれそうな予感が。


新しいコトなんて簡単には生まれない。

そんなことは百も承知。


ただ、野心を持って

切り開いていきたい願望を

ずっとしたためて、じっと待つだけの人。

しくみの中で活かせずに諦めた人。


彼らにチャレンジの場をつくることも

ひとつの打開策ではないだろうか。


彼らだって、やりきっていないのだから。

このアイデアだっていろんな人が集まれば

もっといいアイデアに

ハネる要素がありますからね(笑)


っていうかこうやって書いても

お前誰?お前が言うな!という

オチが待ってますけどね(笑)














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