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アイデアの受け皿。


最近なんとなく思いついたのが、

世の中にアイデアの受け皿が少ないこと。


圧倒的に不足しているんですよね。

あったとしても一般化されていないし、

裾野まで届いていないでしょう。


アイデアを自分で育てて、

あるいは会社で育てて、大きくして

つくって、広げていく。


アイデアを出して仕上げるためにまず、

専門的なことを学び、実現する環境に

企業に入る競争を勝ち抜く。


しかし、勝ち抜くことがアイデアと

イコールにならない世界も多く、

人間が各自の能力を活かしきれる場が

勝ち抜いた人に限られてしまっている。


アイデアの数に対して、

ピックアップされる数が

少なすぎるんですよ、きっと。


この視点をないがしろにして放置。

私たちが行き詰まってきた原因ではないか?


新しいコトを、見つけて促して

成長させていく力が低い国、日本。


そこには日本社会のしくみへの神話性が

みえてこないだろうか。


アイデアにはアイデア同士が結びつく

親和性が必要だと考えている。


人と人も同時に良い意味での

化学反応を起こす期待値を高める。


しかし、日本社会のしくみを

いじりたがらない、変えようとしない。


かつての成功の神話を

否定しようにも策がないために

アラがみえても、見ないふりをしてきた。


何か大きな時代の転換点をいつまでも

誰かがやって示してくれるまで、

待っているだけ。しかもリスクゼロで。


私たちが変わるという意味では、

ここにメスを入れるべきなんです、本気で。


アイデアってイメージだけだったり、

可視化されてなかったり、

文章化できてなかったりもする。


そういう状態のものも世の中には

たくさんあるはずですよね。


ここも完成品を使う、消費する

だけのマインドが支配している。

完成品として仕上げて出さないと

考えようとする場に出してこれない。


だから物事を成長させる、のばす

という分野が弱くなるんですよ。


アイデアを自分で育てて、

自分で結果出せ、としすぎている。


この流れにほどよいサポートが入り、

失敗しながらもあきらめずに

続けていくことで、流れをつくる。

限られた企業、人だけでなく。


閉塞感漂う日本社会のカギになる。

誰がやるか、誰に乗るかではなく

自らやる、けどサポートしながら。


即効性はないが、確実に違う角度でクイを

打ちつけていくので何かが変わり始める。


ここにはいろんな人間のオモワクが絡む。

それぞれの利益のためカケヒキがある。

それが日本社会のアシカセ、ガン。


でもそんなこんなしているうちに

日本の成長は頭打ちになってきた。


逆にアイデアを活かせる環境がある国が

どんどん上がってきている印象だ。

まだまだ他人が動くまで待っている。


他人のアイデアを尊重する気持ちが

日本人は希薄なんですよね。


真似していいから真似する、パクる。

というより周囲が真似しているから

いいんだ真似して。って感覚で拝借する。

あまり咎められてこなかったから。


単純なようで単純じゃないけど、

アイデアの欠片を自分で組み立てて

誰でもわかるようにプレゼン。


この当たり前と考えているハードルを

下げてみるんです。意図的に理屈じゃなく。


どこかで会社の利益がチラついて

いつも突き抜けられていないのではないか。


新しい価値を、古さを打開するには

○○が問題になるからできない…

ここをムリヤリ突破していかないと

破らないと次に進めていないんですよ。


これからの時代、仕事でもなんでも

新しい価値をつくるには○○という壁を

ムリヤリ突き破らないとダメなんです。


こうしたほうが効率的、正しい。

ではなくて(笑)


それは突き破らずに同じしくみの中で

小手先で配置換え、模様替えしてるだけ。


横文字並べて、こねくり回したって

なんにも変わらないだけ。

自分の仕事こなしてる感が高まるだけ。


IT環境をうまく使ってやっていこうって

これも本質は何も変わりませんよ(笑)


ただ手間が増えて複雑になり高度化して

負担だけが増えて何も突破できないだけ。


小手先の技術だけが熟練していき、

その満足感に逃げているだけではダメ。


私たちは神話性にしばられて、

打開するために本当に必要な親和性を

放棄してしまっているのではないか?


エライ人。もっともっと

柔軟に考えてくれ。


もっとこの視点を

突き詰めて考えてくれ。


そして必ず実行してみてほしい。

必ず打開できるはずだから。









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