王様は裸じゃないか。


世代によっても違うし

その後の社会や生活の

環境によっても違う。


自分の意見をなんらかの形で

オープンに発信できるように

世の中が変わり、その影響力が

思っている以上に変わったのだ。


ただ、ちょっとまだイビツ。

その副作用というか。

喝采も、拒否反応も強めに出る。


日本の男性優位の縦社会の象徴のような

御意見番じいさんが糾弾されている。

これが初めてではないが。


日曜日の朝、タイトルそのままの番組。

謝罪の瞬間をたまたまテレビで観た。

まずは、女性アシスタントから

詳しい説明をさせる姿勢が間違いだ。


いつものようにやってしまった。

ただのニュースやお知らせではない。


普段どおりアシスタントから説明

させてしまうカタチを取ってしまった。


そこに気づかない発想の狭さと

気づいたとしてもメッシュじいさんに

そんなことさせられないと

忖度した制作陣の決断力の無さ。


すべて裏目に出てしまうはじまり方。

メッシュじいさんが、

御意見番じいさんの発言問題について

自分の言葉で観る側の気持ちをグッと

惹き付けなければならない。


よく考えて想像してみて欲しい。

謝る側は、まずは注目させて

大衆に聴いてもらう姿勢を取ってもらう。

その必要があったはずだ。


謝る相手が非難された本人だけでなく

不特定多数な相手への謝罪の場合。

これが今回の状況ですから。


何か他のことをしている人に

手を止めて、こちらのほうに向いて

話を聴いてもらうとき、どうしますか?


お願いします、ちょっと聴いてください。

注目を集めなければならないはず。

そのちょっとの配慮、気づかいが

大きく結果を左右するんですよね。


謝罪の仕方ひとつで印象は変わる。

メッシュじいさん=関口宏でさえ

限界説をとうの昔から突きつけられ

世間には好印象は持たれていない。


なんとなく視聴しながら

文句も表立って言わないのは

主な視聴者層が彼らと同世代だから。


主役の世代が変わっているなかで

ポンコツ呼ばわりのヒール役が

二段構えのシチュエーション。


制作サイドが留意すべき点は

「もう少しの気づかい」

だったのではないか。


もとよりあの世代の人間たちは

批判の内容についても

自分たちは間違っていないと

解釈できた時代に生きて育ち

その地位を確立してきた。


時代が変われば注意しなければ

ならないことでさえ、裸の王様で

自分の落ち度に気づけなくなる。


周りには持ち上げられ

立ち位置を脅かす存在もなく

やりたいように振る舞えている。


そうなると自身の落ち度にさえ

無頓着を通り越して無関心になる。


そうなってしまうから

周囲のカバーが要るんですよね。


「そんなことで」くらいの気持ちが

強くなりすぎて不機嫌な感情を

引きずったまま、うまく謝れない。


案の定、謝っている姿勢や態度が

画面からはまったく伝わらなかった。

仕方なく謝っているのが

ビンビン伝わってきたではないか(笑)


事前にこういう意図でやるんだと

キチンと謝罪の場をプロデュースする

打ち合わせはあったのだろうか。

実はすごく大事なことだと思うんです。


おそらく強くなりすぎた御大、大御所。

細かなことは言えなかったのだろう。


謝りなれていない地位に浸かりすぎて

世間とのズレを微調整する人間も

チカラを発揮できない環境なんでしょう。


言うべきことを責任持って

強く言う、主張することが無礼で

相手にヘタを打たせてしまうから。

それを嫌ってモノも言えない環境。


日本人の縦社会のヤミでしかない。

そこを修正する勇気を持たなければ

何をしても相手には伝わらないだろう。


それでは、そもそも聞く気持ちに

なってくれないだろうと感じる。


エライ立場になった人ほど

周囲に遠慮なくモノを言える環境を

意図的につくり出す必要がある。


皆さん、偉くなりすぎて

見えなくなっていませんか?

周囲に対して見えなくさせて

しまっていませんか?








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?