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嗚呼。


とある日のはなし。

老夫婦がいる家庭。

陽射しも暖かくなる

午前中からお昼にかけて。


午前中忙しく過ごしながら

妻のほうは予約した病院に

急いで向かった。


その病院の帰りに

妻はコンビニに寄って

お昼ごはんのために

食べたいものを選んで買った。


妻は思った、このパスタサラダ。

たらこのパスタサラダ。

食べたいなと思って買った。


もうひとつは夫用に

別の種類のパスタサラダを

購入して帰宅した。


家につくと夫のほうはいそいそと

お昼ごはんを所望している様子。

何か食べるものを欲しがっている。


妻はただ座っているだけの夫を

尻目にコンビニで買い物したものを

テーブルに置いて

手洗いうがいをし、上着を脱ぐなど

いろいろとしていた。


夫は目ざとくみつけて言った。

これ、食べていいのか?と。

妻は、どうぞ。と言った。


あえて気をつかえるのかを

試すかのようでもあった。


夫はパスタサラダが2つあり

そこから何も言わずに

好きなほうを選んだ。


ん?どれどれ。

なんだ、たらこのスパゲティか

野菜サラダか?とか独り言を

言いながら

「たらこのほう」を選んだ。


嗚呼。


妻は、何も言わなかった。

養ってもらっている後ろめたさか。

妻も、はたらいてはいたが

いつも妻はずっとそのスタンス。


昭和の家庭の当たり前を

これまでもそしてこれからも

アップデートせず

変わらずに夫を立ててきたのだ。


成長や気づきをさんざん促した。

それでもダメだった。

またダメだろうとわかっていても

ちょっとだけ期待して。


病院から帰る途中

滅多に寄らないコンビニ。

おひさまが気持ち良くて。


ちょっと暑いくらいに感じて

コンビニに寄って気分良く

何か好きなものを選んで買う。


これも楽しみのひとつだ。

日常の忙しさを一瞬でも

忘れさせる息抜きだから。


家路を急ぎ、到着して

楽しみにしていた

たらこのパスタサラダを

奪われるという事件。


このなんとも言えない

悲しみ、哀しみどちらもだ。


夫は、買ってきた妻に対して

やさしさをアンインストールして

しまったか。


妻に選択肢を与えようともせず

ひとっ言も、やさしさで包む

言葉は聴かれなかった。


ただ、いいのか?一つ食べて。

(これは褒めなくてもいい、笑)

そう言っただけで好きなほうを

選んで開けて食べ始めた。


妻の気持ちは、いかばかりか。

あきらめ、むなしさ、せつなさ。


なにもかも、あてはまりそうで

なにもかも、あてはまらない

そんな気持ちになっただろう。


正解はありそうでない。

でも夫は失敗したとしても

相手をオモンパカル必要はある。


2つ買ってきてくれたことに

感謝の気持ち。いや当たり前?


想像力をはたらかせて

食べたい自分の欲求をまずは

止められるかどうかが、勝負だ。


妻には、どっちを食べるの?

と聴くのが礼儀であろう。


どっちでもいいよと答えられても

もう一度、妻に食べたいほうを

選んでもらうように自分で工夫する。


その接し方で器量が見て取れる。

いっしょの食卓に座るまで待って

もう一度、聞いてみるとか。

最初に選んだのどっち?みたいに。


声のトーン、表情など

すべてを妻はみている。すべて。


手のひらの上だとは夫は気づけない。

夫はその審査が始まっているのすら

気づいてはくれないのだから。


どっち食べたい?ではダメだろう。

妻は遠慮して夫に好きなほうを

選んで、と言うはずだ。

まるで子どもをあやすかのように。


そこから譲り合いの問答が続いて

ケンカになってしまってもダメだ。

だから最初のファーストテイクが

勝負になるんだろう。


ほぼ最初の一発勝負でのセンス。

最初の一言と、やさしさの

さりげなさで決まる。

見え見えでない、さりげなさ。


自分が食べたい、が上回り

相手のことを立てて自分が

あえて下がるということも

自然にできないまま老いた夫。


そういう世代だからと言われて

逃げるだけでいいのか?


たとえ老いたとしても自分を

変えていくことは可能なはずだ。

しかし頑なに変えようとしない。


こういう世代が妻のほうに

先立たれた後、子がいても

疎ましがられて、面倒がられる。

そして孤独で、途方に暮れる。


何もしてこなかった。

生活感度を育ててこなかった。

あれもこれもできないまま

仕事だけしてきた、そのツケ。


身の回りのことは全部

誰かに任せて仕事だけ見て

生きてこれた世代。


いまだに偉いと思っている。

他人に文句を言うだけで

自分の非をまるで見なくなる。


人間的に好きになれなければ

すすんで助けようとは

家族も思ってくれない。


この寄り添い、歩み寄りは

イーブンであるべき。


日常でも自分が悪いなと

感じることを認めたがらないのが

もう、ナゾすぎる。


察しのいい方はわかるだろう。

ワタクシの父と母の話である。

なんとも情けなくなった。


どんなに偉かろうが

稼いでいようが関係ない。

そゆことは問題外の話で。


人間的な陽だまりがないまま

老いぼれてくのはゴメンだ。


ワタクシは常に反面教師にして

こうなってたまるか!と

心から誓うのであった・・・







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