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笑いも封じ込めよというのか?


あらゆる分野で批判が噴出している。

そしてその批判は、やむことはない。


批判をすると、どんどん社会が

良くなるかといえばそうでもない。


コロナ禍において、私たちは心身ともに

非常に不安定な状況におかれている。


人は、責めることで快感をおぼえる。

少し強くなった気がするのかもしれない。


しかし、笑えることが少なくなる。

油断ならないのだ。

ボロを出してはならない。

そう、みんな守りに入るために

「ならない」が増え続けていく。


マスクも私たちから表情を奪う。

当然ながら深刻さだけをにじませ、

口と鼻をふさがれているからか、

五感がバランスを崩すのだろうか。

なんだか少し、不安定になってしまう。


ふさがれていない目までも、

かがやきを失っているかのように

伏し目がちで、ナーバスになっている。


批判は笑って行うものではない。

むしろ真剣さから、怒っているくらい。

少なくとも、笑ってはいけないとなり、

笑ってる場合ではないという面構えになる。


見ず知らずの人が急に怒ってきたら

自分なら、どう思うのだろう?

想像してみてほしい。


見ず知らずの人が急に怖い顔して

詰め寄ってきたら、

どう思うだろう?


知らないところで監視され、ジャッジされる。

そして身に覚えがない人に糾弾される。


そう、身に覚えがあったことについて

糾弾されるのは覚えはあるとしても、

身に覚えのない人から、糾弾される覚えはない。

ややこしッ(笑)、でもそうだなぁと思う。


よく考えたら私たちの社会は、

匿名性をいいことにすごく怖い顔を

他者に向けているのである。

相手に知られないのをいいことに。


なんだかネットの意見に社会が

主導権を奪われてしまって、

流されるまま批判を回避し続け、

それに従って動いているだけで、

本当にいいのだろうか?


CMやドラマ、イベントの製作費を

批判した人間たちが払ってくれるのだろうか。

払うわけがないですよね。


「無責任な発言を完全にスルーしてみた」

って企画でやってみたらどうか(笑)


そもそも、批判してる人よりも

批判していない人が圧倒的に多いのに、

そこまでけじめは必要だろうか?

サイレントマジョリティーは

そこまで求めているのだろうか?


そして誰もいなくなった、みたいに

笑い声と笑い顔が消えた。

笑顔とは少し違う、笑い顔がない。

静まり返った世界で、無機質で

無感情な機械音だけが鳴り続ける。


笑顔は無理してつくれるが、

つくった笑顔だから心が無い。


笑い顔とは?勝手に考えた。

楽しかったり、幸せだったり、

おもしろかったり、ワクワクしたり。

心から湧き上がる感情のつくる顔。


笑いが喜びになることを知り、

笑いを生み続けてきた人を

ワタクシは無下にすることは

やっぱりできないなと思う。


岡村はそんなに面白くはないけど(笑)

それでもなぜか一生懸命さが心を揺さぶる。

もう〇〇で笑えないよ・・・って。

ヤフコメあたりでよく見られる表現だが、

違うよ、笑えないのはその人自身の問題だ。


社会が少しずつ、いびつになり楽しさを奪う。

批判は気持ちをぶつけているだけだが、

なぜか周囲は、自分が泥をかぶりたくないからか、

楽しかったことをつぶしてまで応えようとする。


そんなハズじゃなかったのに、余計な一言で。

余計な一言は、私たちにブーメランで返ってくる。

なんかもう、楽しいことなんかなくなってきたな・・・

正しいかもしれないけど、おもしろさ無くなったよな。

ボソッとつぶやく人に出会った。


たしかにそうだ、と思う。

正しさを追求していくと、楽しいのは本人だけ。

彼らは笑うことはない。私たちと同じことでは。

むしろ私たちが笑うことを失うことで、

彼らは笑うのかもしれない。

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