見出し画像

短編・振り子


心の拠り所というものは、いざ改めて考えてみるとぱっと言葉に出せなかったりする。家族の存在、あるいは趣味、物理的な居場所であったり、少しの感覚のことを指すかもしれない。
しかし、問われた際に瞬時に答えを導き出すというのは相当に難しいもので、その理由は結局、心の拠り所は心にしかないという、何とも馬鹿らしい、それでいて明確な。堂々巡りの終点なんだという、至極簡単な話なのである。


視界に映る時計。振り子が絶え間なく振れていて、秒針が滑らかにするすると動き、短針と長針を追いかけ、そして追い越している。
時間の伸び縮みは実際にあるというが、そんなことは人間なら誰でも体験したことのある事実であり、真実だ。しかしこのアナログ時計を眺めていると、1秒の大きさというものが脳みそにダイレクトに伝わるようで、この1秒に長いも短いも含まれているという体験に、言葉にできない不可解さを見出すのである。

5秒が永遠に感じられる瞬間、というものを私は体験したことがあって、たったの5秒の間に、私は何度も何度も思考した。これだけ思考すれば、10秒も優に経っているだろう、と思い時計を見直しても、秒針は5秒をカウントしていなかった。そんなことがあるか。ゆっくり、あ・い・う・え・お、を呟いたとしても5秒なんてのは経って然るべきものなのに、目の前の時計はそれを遂行していない。
何度考えても、目の前の時計の秒針は5秒をカウントするのにあり得ないほどの時間をかけていて、それは確実に時間の流れの概念を破壊している。
冷静でいたい自分と、瞬間的に全ての意味が分からなくなる自分が永遠と交互にやってきて、こんなにも簡単に壊れてしまうものなのか、と笑った。

当たり前だが、脳みその中の問題まで、他人がわざわざ介入してきて助けてくれるなんてのはあり得ない。狂ってしまったとしても、人は勝手に助かるだけで、自分を助けるのは狂った自分だけなのだ。
時間が進まなくたって、そんなことはどうでもいいことのはずで、なぜなら時間なんてものはあってもなくても同じことだから。過去も未来もない。全ては同じこと。しかし、一つのものさしが狂ってしまったという事実は、たとえそれが脳の錯覚だとしても、震えるほどの恐怖を与える。

人間は光の速さを越えることはできなくても、時間の伸び縮みには身をもって体験することができる。
頭を使うということの意味の無さを、5秒の間に何度も知る。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?