理由を遡源し、判断の基軸を知る
1.理由の系譜
人々の営みは判断に基づきます。また、判断には理由が必要です。そうすると、人々の営みは理由に基づいていることになります。逆から見れば、理由が人々の営みを生み出していることになります。まさに、理由が我々の活動をクリエイトしているわけです。
しかし、人々が日常を営むにあたっては、必ずしも理由を意識する必要はありません。「起きる→働く/食べる→遊ぶ→寝る」という日常は、理由を考えるまでもなく作動しており、振る舞いとしてはシステム化されています。
とはいえ、この日常の作動には何らかの理由があるはずです。そして、その理由を探求すると、理由にはさらにその背後の理由がある、という「理由の系譜」を見出せると思います。試してみましょう。
Q1 なぜ働いているのか。働かなくてもよいのではないか?
A1 お金を稼ぎたいから
Q2 なぜお金を稼ぎたいのか?
A2 豊かな生活を送りたいから
Q3 なぜ豊かな生活を送りたいのか?
A3 快適な方がいいから
Q4 なぜ快適な方がよいのか?
A4 (めんどくさー)
2.理由の表明は価値の表明である
ここで気が付くことがあります。理由を答えることは、その者が重視する価値が何であるかを表明していることです。あるものと別のものを比較して、一方がよいとすることは、中立な観察ではなく価値判断です。
Q1に即して考えます。「働く/働かない」という振る舞いのうち「働く」を選択することは中立な観察ではなく価値判断です。その価値判断を支える観点が「お金を稼ぎたい」という理由です。
さらに、この理由に着目すると、「お金を稼ぎたい/稼ぎたくない」のうち「お金を稼ぎたい」の方にあらかじめ軍配を上げていることがわかります。つまり、この理由自体が一つの価値判断を伴っています。
通常、理由という語からは「客観」が連想されます。当事者でなくても、ある振る舞いの理屈が理解できるようになるという意味では、たしかに「客観」です。
しかし、理由自体の性質としては、中立ではなく価値を帯びたものであるのが実際です。これは大事なことなので定式化しておきましょう。
「理由の表明は価値の表明である」
3.終極の価値の特定方法
「理由の系譜」では、理由の系列が整理されることになりますが、通常は後ろになるほど、答えにくいものになり、より根源的なものになります。
また、2.で示したとおり「理由の表明は価値の表明」です。
よって、答えに窮する直前の理由が、認識できる範囲での終極の価値であり、判断の源泉であると位置付けることができます。
例えば、1.で示した例の「理由の系譜」は、A3(=快適な方がよい)で途切れています。この回答者は、快適さという価値を奉っており、これがこの回答者の日常生活を作動させる中心軸ということになります。
4.理由の系譜はどこまで続くか
先の例では「理由の系譜」が途切れていましたが、「理由の系譜」は原理的にはどこまで続くのでしょうか。
これまでに紹介してきたことから、以下の条件を整理できます。
① ある振る舞いを支持することには価値判断を伴う。
② 価値判断には理由が必要である。
③ 理由の特定には価値判断を伴う。
このプログラムを走らせます。「①→②→③→②→③→②→(以下同様)」
お気づきのとおり、形式的には限りなく作動し続けます。理由が価値判断を伴う限り、その一階上の理由を要請し続けるという仕組みになっています。
このプログラムを作動させ続けると、「答えに窮する直前の理由」という概念が成立しません(=動作の上では答えにまだ窮していません)。よって、ある者にとっての終極の価値や判断の源泉も原理的に得られません。
巷では、理由をよく考えろと言われます。しかし、理由の系譜を辿るこのプログラムをどこかで止めている(答えに窮する直前の理由の背後を問わない)からこそ、我々は判断の基軸を獲得していると言えます。
5.備忘
理由の系譜のプログラムの止め方には探求の要素があると思っています。(理論的関心)
また、どこでプログラムを止めるのが適切なのかも興味深いところです。(規範的関心)
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