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新しい価値観を本当に受け入れられてる?ルッキズムを引きずる私。

今変えたくて変えられない習慣がある。
それは間食のお菓子だ。

減らした方がいいのは、頭ではわかっている。
この数年で体重も増えているし、昔と同じ量を食べていたら代謝が落ちているのだから増えるのは当然だ。
そして当然健康も気にかかる。すでに亡くなっている父方の祖父は糖尿病を患っていた。血筋的にはやはり気にかかるところ。私は幼少期から甘いものが好きで、心当たりがあるから尚更だ。

そうはわかっていてもやめられない。今までもお菓子を減らすことに挑戦したことはあったが、一時期お菓子を減らすことまではできても、その習慣が定着しない。習慣化のむずかしさよ。

うっすら自覚している根本的な原因は、今まで私のお菓子を減らすモチベーションは健康維持などではなく、体型維持でしかなかったこと。そして体型維持のモチベーションは、世間の痩せている方が可愛いという圧と、恋愛対象として自分が少しでも多くの人から対象に見られたいという気持ちだったということだ。
それが時代が変わり、ルッキズムという言葉が社会に浸透し、どんなサイズだろうがその人らしく個性を発揮すればいいし、いろいろな可愛さがあると知った。もちろん私も今はそう思う。そして少しは歳を重ねて世間の圧を以前よりは気にしない図太さも手に入れた。
時を合わせて、個人的な話では結婚離婚を経験し、結婚願望も出産願望もついでになくなったことで、パートナーを探すモチベーションが激減した。将来的にはパートナーがいたら素敵だなとは思うが、別に今すぐ欲しいわけではない。(今欲しくないなら、将来になっても欲しいと思わない気もするが。)
そうなると、20代のころに私に体型維持をさせていたモチベーションがないわけである。だから太った。単純明快。自分の心の奥底をさらってみても、ぽっちゃりしてても別にいいじゃんという気持ちが優勢なのである。

でもだったらなぜ、体重増加がただの事実でなく、失敗というか、太っ「ちゃった」という表現になるのだろう。この後めたさは何?(ちなみに体重増加したとはいえ、ぽっちゃりの範囲で健康的に問題があるほどではない)
考えてみた結果、それは幼少期から10代20代までに培われた自分の過去の価値観が自分を攻撃してきているのではないだろうか。今の私はぽっちゃりでも可愛いと思っていても、過去の自分はそう思っていない。その矛盾が心の中で葛藤を生んでいる気がする。
そして、それは他の人もそうなのではないだろうか。今社会で良しとされているものを受け入れているように見えて、その人自身も受け入れていると思っていても、どこかに過去の価値観が滲み出る。そして滲み出たものが集まるとそれがまた新たな社会的な圧になるのだろう。
価値観が変わるとは、こうも時間がかかるものなのだなあ。葛藤している自分の内側を無理して急激に変える必要はないけれど、その自分も含めて自分のことを認めていきたい。
ただこれからは健康のためにこそ、少しはお菓子を減らしたいと思う。健康について少し調べてみようかな。

書く習慣1ヶ月チャレンジ中です。
4日目の今日のお題「今1番変えたいこと」でした。

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