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人間、知っているものにしかなれない

私の趣味の1つは手芸だ。
基本的に何かを作るのは総じて好きだが、その中でも特に好きなのは布ものだ。布でできたもの。つまりポーチやバッグや服。
手仕事のゆらぎの美しさ、布の手触りにはうっとりとしてしまう。使い込んでくったりしてきても愛しいし、洗ってアイロンをかけた後の凛とした佇まいも格別だ。自分の欲しいデザインのものが作れることもいい。市販品でなかなか自分の好みのものに巡り会うのは大変だし、友達が褒めてくれたときには鼻高々だ。そして不便だと思ったことー身幅のゆとりがもう少しほしいやら、持ち手があと5センチ長いのがいいやら、ポケットがここにもう一つ欲しいやらーを自分で改善して、自分の好みや使い方にベストのものが使えるのは何よりストレスがなくなる。

子どもの頃から物を作るのが好きだった。
私は両親と2人の兄、そして父方の祖父母と同居で育ったが、祖母も母も手先が器用だった。祖母は若い頃洋裁の仕事をしていた時期もあり、パッチワークでお友達にバッグを作ってあげたりしていたし、母もパッチワークやビーズアクセサリーを作ったりしていた。

私が覚えている中で初めて作ったものは、巾着だった。下が半円になっているもので、円形を綺麗に出すためには事前に厚紙をあててアイロンをかけるんだよ、と祖母に教わったのを覚えている。他に印象的なのは、小学校高学年くらいに作ったバック。アジア雑貨の店でオレンジと赤の布を買って、肩掛けバッグを作った。レジにいた2人のお姉さんに「何か作るの?バッグ?すごいね〜!」と話しかけられたのが嬉しかった。その後半年だったか1年だったか覚えてないけれど、学校にも持って行って使っていた。

祖母のお友達に私が手芸をすることを話すと、手先が器用なのは血筋だね〜、と話をされる。たしかに私は祖母と(母とも)血が繋がっているが、しかし祖母と母は嫁姑なので血のつながりはない。しかし2人の間にだって趣味は引き継がれている。なぜだろう?それはきっと身近にあるものは身につきやすいのだろうと思う。環境要因が大きいということ。きっと音楽家の子どもはそれ以外の子どもより音楽家になりやすいし、自営業者の子どもは自営業に抵抗があまりない、みたいな話。

最近嬉しいことがあった。
私が自分の服を縫っていたら、小学校2年生の姪っ子が「自分も作りたい」と言ってきたのだ。きっと私が作っているのをみていたら、服って買うだけじゃなくて作れるんだ、じゃあ私も作りたい、とシンプルに思ったのかなと想像している。
人間、知っているものにしかなれないという。つまり知ったものにはなれるということ。姪っ子にもたくさんの経験をさせてあげたいが、私自身にもまだまだたくさんの知識を与えて経験もさせてあげたいと思った。

書く習慣1ヶ月チャレンジ中。
5日目の今日のお題は、「どんな子どもだったのか」。

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