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「いる」という幸福について

ウェルビーイングという概念をヒントに



 先日、予防医学者の石川善樹さんと日本放送のアナウンサーの吉田尚記さんの共著「むかしむかしウェルビーイングがありました 日本文化から読み解く幸せのカタチ」を読みました。
 驚くほど雑に説明すると、「ウェル」(良く)「ビーイング」(いられる)状態について様々な角度から考えた本で、日本の昔話や謙遜の文化などから考えた本です。
 2021年6月に日本政府の「成長戦略実行計画」で登場したこの言葉は1948年のWHOの憲章前文からある古い言葉ですが、西洋・東洋、時代によって意味は変わっているそうで、上記の意味もあと何年かしたら意味が変わっているかも知れません。
 ただ、このウェルビーイングは、「因果」ではしばりにくいもので、「〇〇をすれば成功する」という説明がしにくいものです。それは、人間関係における「いる」、「なる」、「する」で、「いる」という「因縁」の方が近いからです。
 「因縁」というのは悪い意味で使わることがありますが、「偶然」とか「たまたま」という言葉がしっくりきます。
 たまたま出会った縁から自分の世界をどんどん「展開」させていくことで幸せな状態がつかめて来るということですね。
 逆に「因果」の方に囚われると、自分が何かをしたのに思う通りの結果が出ないと「〇〇をしたのに、なんで結果が出ないんだ!」という怒りを抱くことになります。
 
 いきなり抽象的な話が続いて、「こいつ、『それにしても甲斐心愛ちゃんってほんと可愛いよねぇ』と書いてる時と違うベクトルで意味が分からんぞ」と思ってらっしゃる方もいるかも知れないので、上記の内容をもう少し具体的に書いて行きましょう。
 僕らの日常の中で「ウェルビーイング」を感じる瞬間として、石川善樹さんは誰かを「推す」時間を挙げています。
 自分自身を忘れて自分以外の誰かを「推す」というのは、SNSなどで自分を発信して評価されることが広がった現代社会において、非常に重要な瞬間だそうです。
 曹洞宗の開祖である道元は「仏道をならふというは 自己をならふなり 自己をならふというは 自己をわするるなり」という言葉を残しています。
 自分から離れること( 自己をわするる )で自分を見つけられる( 自己をならふ )。
 自分以外の誰かのことで熱くなったり、悲しんだり、喜んだりすることで、幸せを見つけられる。それは恋人かも知れませんし、家族かもしれません。子育てにひと段落した方がアイドルにはまるというのにも通じるかも知れません。
 推しが「いる」ことが幸せに繋がる。
 また、人間の脳は少量のサプライズなら幸福感を持つことが出来るそうで、ちょっとした「移動」、たとえば、旅などをすることで日常からちょっと出て、新しい体験をして帰ってくることで、幸せを得られると書かれています。
 「推し事」でいえば、コンサートなどの為に自分が日常的にいる場所を離れて、祝祭を感じることで幸せを感じるのに近いかも知れません。繰り返しますが、これは自分と深く関係のある親族や友人のコンサートではないわけです。しかし、ひょっとすると、親族や友人以上に応援したい存在かもしれない。
 そんな存在に人生の中で何人出会えるか、そんな素敵な「因縁」に何回で会えるか?
 もし、今、あなたに推しがいるなら、それはとても幸福なことかも知れません。
 推しが「いる」ことで自分も幸せである。
 これは、ビジネスの現場では何を「する」人かや何に「なる」ことが出来る人かが問われるのとは大きく違います。
 この人は自分にこれを「してくれる」とかこれに「なってくれる」人だというのとは違う存在( 逆にこれを求め始めると怖いと僕は思います )がいる。
 寺嶋由茉というアイドルが読んだ印象的な歌があります。

「今日もまた私を救ったことなんて知らない待ち受けのきみ」

 多分、「待ち受けのきみ」は「私」のことは知らない。
 でも、いてくれるだけで、幸せだと言う誰かを「推す」ことについて凄く伝わってくるうたです。
 ただ、ひょっとすると、アイドルから見てもファンの方は自己肯定感を得にくい日本社会では貴重な存在かも知れません。
 ファンの方になにかを「してほしい」というアイドルも沢山いるかも知れませんが、出会ってくれて、ファンで「いる」だけで嬉しいこともあるのではないでしょうか? 

STU48の選抜発表

 さてさて、えらく前置きが長くなりましたが、今回のことを考えていく上で非常に重要なことなので、書かせていただきました。
 2022年2月11日、STU48の選抜発表がありました。
 愛媛県西予市出身の中村舞さんが見事、トリプルセンターの一角になり、ついに愛媛県から48グループのセンターが!と嬉しかったです。
 しかし、同じく愛媛県宇和島市出身の兵頭葵さんは選抜に入ることが出来ませんでした。
 もともと48グループの選抜入りというのは、基準がはっきりとしていないものです。僕が推しているSKE48は、近年、握手会の売り上げが重視されていましたが、次作「心にFlower」の新選抜ではSHOWROOM配信で結果を出して来た平野百菜さんや、SKE48のU18での総選挙でのセンターになった坂本真凛さんが選ばれました。その反面、女子プロレス界で活躍した荒井優希さんは選抜落ちしました。彼女の活躍を考えれば、選抜落ちは不可解でした。
 STU48の方でも今回の選抜では、AKB48グループ歌唱力NO1決定戦で結果を出し続けた池田裕楽さんは入っていません。その代わり、1期生の峯吉愛梨沙さんが5年目にしてついに選抜入りを果たしました。
 この二人の間にどんな違いがあったかは、STU48ファンではない僕が書くのは控えますが、二つのグループの選抜方法はどちらもファンの視点では「因果」が明確ではないということです。
 かつてNMB48のドキュメンタリー映画でファンの方々が何故、自分の推しメンが選抜に入らないのか、という「因果」を求めて支配人部屋に行っていましたが( 何故入らなかったのかは、ここではネタバレになるので書きませんが、分かった瞬間、梅田の劇場がざわめいたのは書いておきます )、運営によっては減点方式で選んでいるのかな、と当時考えさせられました。

兵頭葵さんの思い



 今回の選抜落ちを受けて、兵頭葵さんは下記のようなツイートをしています。
 


 読みながらなかなか心に来る文章だな、と思いましてね。
 まず、毎回のシングルの選抜発表の時に悔しい思いをしてきたことを書いています。
 「こんなに人生上手くいかないとは、神様からすごい試練を与えられたんだなあと思います」というのは、今の辛さを感じつつも、ちゃんと逃げずに受け入れますよ、という強さも感じます。

 「ファンの方々の存在に1番助けられていて、本当に感謝しています!」という表現は、先ほど僕が「ウェルビーイング」について書いた「いる」だけで幸せを感じる存在ですね。
 48グループというのは、これでもかというほど序列を意識させられます。自己肯定感がどうしても揺らぎそうな時、SNS等を通して自分を「推し
」てくれるファンの方々の存在というのは、アイドル側にも大切な存在かもしれません。

 「私にはもう頑張り続けるしか選択肢はないのでもっと実力をつけて歌もダンスもすべて上を目指します」

 兵頭さんの頑張る目標として、STU48の基盤である劇場公演を連想させられる目標ですね。
 同グループ内でもライバルは沢山いると思いますし、グループをまたいで競える目標だと思います。
 もし、よくを言えば、彼女の得意分野が活かせるものがあると、更に面白くなるのではと思いました。たとえば、楽器の演奏に関することですね。
 昨年は「青い向日葵」というSTU48のガールズバンドを立ち上げて、単独公演まで成立させるという結果を出しているだけに、演奏関係の実績も選択肢として増やすのはどうかな、と思っております。
 「選抜」に「なる」というのは、簡単なことではないですし、何度も自分の評価を直視させられることになります。心が揺らぎそうな時は自分を肯定する存在が沢山「いる」ことを忘れずに、兵頭さんのやり方を大事に頑張ってほしいと思います。
 僕みたいなよく分からない方向から応援しているファンも、他の人とは違う自分だからできるやり方で応援したいと思っていますよ。
 
 神様の悪戯は時として残酷です。
 彼女が乗った電車は「各駅停車」だったのかも知れません。
 彼女が思う速度で走ってくれないのかも知れません。
 ずっと乗っていると、身体が痛くなったり、乗り物酔いすることもあるかも知れません。
 しかし、「快速急行」や「特急」に乗った人とは違った景色を見られるかも知れません( そっちに乗った人はそっちに乗った人の苦労があると思います )。それは時に長いトンネルかも知れませんし、雨の風景かも知れません。
 それでも、辿り着いた時の嬉しさや解放感は、他の電車に乗った人達よりも大きいと僕は信じています。
 だから、彼女の頑張りを信じて、電車の到着を僕は次の駅で待ちたいと思います。
 だって、彼女が今日もSTU48で「いる」だけで幸せですから。
 駅で待つ人が沢山増えますように。

※なんとなくウェルビーイングと兵頭さんを連想した曲を貼ってお別れです。

兵頭葵さんについて考える連載はこちら!


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