「ケの日」の推し事についての試論

 皆さんは「衣・食・住」の中で一番興味のある分野はどれでしょう?
 どれも暮らしの中できっても切り離せないものですよね。 
 恥ずかしながら僕は、全部に興味がないまま長年生きてきました。
 着るものは一つのブランドの服ばかり着ていましたし、朝昼晩のご飯も安くて早く食べられるものが良いな、ぐらいでした。住む空間に関しても、あまり家に帰ることが少なくて「本を置いておくところ」ぐらいの意識でした。
 文学の中で出てくる「衣・食・住」の豊かさは感じますし、読解の中で重要になってくるものが多いです(たとえば、芥川龍之介の『玄鶴山房』における部屋の配置は重要だと思います。また、幸田露伴の娘、幸田文の作品を考える上で自己プロデュースも含めて服のことは無視できません)。それでも、自分の日常生活の中では非常に優先度が低いものでした。
 
 やがて時が経ち、「衣・食・住」を気にし始めたのは、社会学を学び始めたところからあると思います。
 自分の住む町のことを考える上で「衣・食・住」について無視できません。また、コロナ禍後の日常の再デザインの上でも非常に大事なものだと僕は思っています。
 「衣」でいえば、マスクは我々の日常の中でネクタイやメイクのようにコミュニケーションをしていく上で重要なものになっていきました。
 「食」でいえば、UberEatsが一気に広がったことで、「お持ち帰り」でも食べたいお店の食べ物って何だろう、と多くの方が考えたかも知れません。
 「住」に関しては、建築のデザインで人が集まるデザインから人を分けるデザインを導入していかなければいけないという変化が起きました。
 こうした変化は、別に学問のラーニングや社会の変化だけではありません。
 
 それは「推し」が生まれることによる変化です。
 それまで行かなかった土地に行く、買わなかった雑誌を買う、インストールしていなかったアプリをインストールする。書き始めればきりがありません。
 「衣・食・住」でいえば、多分、もう2度と着ることが無いであろうコンサートTシャツたち。謎のコラボメニューたちを食べるためにコラボレーションカフェに行く週末。家の中にどんどん溢れるブルーレイと生写真アルバム。
 皆さんもどれか思い当たるものがあるのではないでしょうか?

 さてさて、ちょっとだけ話を進めると、我々の人生の中には「ハレの日」と「ケの日」があります。
 「ハレの日」は簡単にいうと「非日常」的な日のことです。
 民俗学だとお祭りの日とか「マレビト」が来る日がそれにあたります。
 「ケの日」は「ハレの日」の逆で「日常」的な日ですね。
 民俗学でいえば、毎日せっせと山へ芝刈りへ川へ洗濯へ行く日々です(なんか『へ』が多い1文ですね)。
 
 僕が好きなアイドルでいえば、「ハレの日」の推し事というと、大きなドームでのコンサートが頭に浮かびます。
 今でも覚えているのは、2014年2月2日に行われたSKE48の名古屋ドームコンサートの2日目。本編が終わりアンコールになった時。暗闇の中で、1階のアリーナから天空席までオレンジ1色になったあの空間は、まるで山火事の中にいるようで、何かこの世からふわりと浮いた空間のように感じました。
 
 それでは、「ケの日」の推し事とはどんなものでしょう?
 ショールーム配信で推しとコミュニケーションを取っていくというのも非常に良いと思います。
 でも、少しだけ違うアプローチを考えてみたいと思います。
 最近、僕がこの「ケの日」の推し事と凄く相性が良いメンバーを見つけました。
 

 荒野姫楓さんです。
 まず、彼女がクックパッドで紹介している料理は非常にお手軽に作れるものが多いです。

 先ほどの動画のテンポの良さも素敵ですが、推しが考えたものを自分で作って食べる。これはコラボカフェで食べるのよりも更に日常に寄り添った「推し事」かなと思います。
 気張らずに自分でも作ってみて、食べて、時には「つくレポ」に書いてみる。
 ちょっとカジュアルに楽しめる感じが好きです。

 「ハレの日」の推し事はその1回性にあると思います。ヴォルター・ベンヤミンの「複製時代の芸術」で出てくる「アウラ」ですね。カメラによって録画が可能になったが、舞台芸術やライブは複製が出来ないんだ、1回だけのものなんだ、ということですね。みんなが集まって大箱で声を出したこの瞬間は、再現できません。
 しかし、「ケの日」の推し事は、再現性が高いと思っています。
 先ほどのひめたんの料理動画でいえば、彼女の料理はレシピになっているので何度でも作ることができます。そして、なかで気に入った料理があれば、繰り返し作っていくと思います。
 やがて、レシピや手順も覚えていき、自分のものになっていきます。
 「推し事」が時間の経過と共に「自分事」になっていく。
 「ケの日」という日常に一つ推しの要素が加わる。
 人生は「ハレの日」と「ケの日」の繰り返しです。
 その中で、「ケの日」の方が我々は多いのではないでしょうか?
 じゃあ、その「ケの日」をどう豊かにするのか?
 このひめたんのシステムを言語化して、抽象化することでまた新しい推し事を楽しめるのではないか、今日はそんな試論を書いてみました。問題の本質に到達しているか、というとやっと入口に立った感じなので、こちらはじっくりと考えてみたいと思います。


※ 今、僕は自分の雑誌を作るために原稿をせっせと書いていますが、多分雑誌のテーマ的に今回は載せられないかも知れません。けれど、この要素はどこかに残しておきたいと思い、この記事を書きました。


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