4ヶ月を振り返るつもりがいつのまにか17年ぐらい振り返っててもうわけわかんないけどめっちゃハッピーになってた話
鹿児島に帰ってきて4ヶ月が経った。
えっ!?はっや、うそだろ?!なにもできてないや〜…。
とはいってもなにもしていない訳ではないので、4ヶ月経ったいま感じていることを書いていきたい。
まちづくりってなんでしょうね
まちづくりって言葉を口にすると、胸の奥がギューっと締め付けられる。
テンラボに合流して、まちづくりって言葉は意識して使わないようにしている。
それはそもそもまちづくりってなに!?って思ってるのもそうだし、過去にあったことに対してどことなく負い目を感じているからなのかもしれない。
学生の頃に約1年間、福岡の人口2万人ぐらいのまちに関わっていた。いろんなことができそうなハコ(いろんなイベントをしている騒げる図書館)に学生が関わることでなにか面白いことができるんじゃないかってことで始まったプロジェクト(だったと思う…。)最終報告では悔し涙を流していた。あの時言われた言葉も、この出来事も一生忘れることはない。色々と問題はあった。
なぜそのPに関わり、どんな人たちのどんな悩みを解決しようとしているのか。自分たちには何ができるのか、に対して議論を重ねていかなかったのもある。
思えばスタート時点からコケてた気がする。コケたままスタートしてるからもはや地面にずかずか埋まっていき、どこに向かって行ったらいいのか分からない1年間だった。
なぜ自分たちが当事者意識をもつことができなかったのか。1年間を通して振り返ってそれを報告することが精神誠意ってものだ、馬鹿野郎。
だから、まちづくりとか地位活性化って言葉自体にはなんの意味もない。
対象がみえない、とても危険を伴う言葉。
結局は誰に?何を?どのように?届けるか。
誰のどんな課題をどんな方法で解決するのか。そして自分はなぜやって、自分には何ができるのか。
いろんな人から聞いた言葉。世の中にある仕事は全てマーケティングの基礎に落ち着くのかもしれないなあ。
そしてそれを考えることの方がよっぽど意味があるんだなぁと今は感じている。
目の前にいる人に誠実に向き合ったり。
だからまちづくりって言葉は使わない、使いたくない。
そしてそんなパッションはどうしたいんでしょうね。
正直よくわからないんですけどね。
でもこの4ヶ月、テンラボだったりいろんなことに関わらせてもらっている中で、ちょっとずつこんなことを考えている。
人を笑顔にしたい理由
人を笑顔にしたい。
これは小学生?中学生?の時からずっと言ってること。
だからお笑い芸人にもなりたかったし、ホスピタルクラウンをやりたいって思った。
でも最近は単純に人を笑顔にしたいっていうのもあるけど、〇〇したいって思いがあるから人を笑顔にしたいって構図がある気がしている。
それは辛い闘病生活をおくっていたり注射が嫌だったり、そういった方たちに少しでも闘病生活頑張ろうとか注射頑張ろうって思ってもらいたいっていう、どこかでその人を応援したい!って気持ちが大きくあるのかも。人には可能性があって、それを諦めて欲しくないっていうのも活動しながら感じていたこと。
そして僕は子どもが好きってずっと言ってて、子どもっていうのが一つのキーワードでさ。ホスピタルクラウンも主に小児病棟を訪問するから子ども好きな自分にはぴったりだ〜って思ってた。
でもどうやらそうではない気がしている。もちろん子どもは好きなんだけど。
大学で学童保育のアルバイトをしている時に、たまに子どもにムカつくことがあって(笑)あれ、子ども好きなのになんでムカついてるんだろう〜って一時期モヤモヤしていたことがあった。
なんか多分子どもが好きってよりは、子どもって可能性を秘めていて、その可能性が無限大だったり、そういった意味で愛らしいというか、そんなんがあるんじゃないかって気がしてる。自分がいろいろと子どもに目を向けたり、興味がある理由はそんな感じなのかも。
って考えると、大学の時にミャンマーとかカンボジアに行った時に「途上国の子どもをみてみたい」って思ってた裏には、子どもたちには無限大の可能性があって、それが経済的な状況とかいろんな問題で学校に行けなかったりする子どもは世界にたくさんいて、それを自分が目の当たりにしてどう思うのかっていうのを確かめたかったんじゃないかなって思ったりする。
で、当時は途上国とかでもホスピタルクラウンの活動をできたらな〜って思ってたし、途上国の子どもってめっちゃ素直だな〜っていうのを感じていたけど、結局まずは自分が生まれた日本の子供たちに目を向けたいなってなったのを覚えてる。
結局なにが言いたいかっていうと、人には可能性があってそれはみんなに平等にあるもんで、でも人それぞれどうにもできない状況があったり、そんなこと考えられないぐらい落ち込んでたり悩んでたり。そこでスーパーポジティブマンでお金も権力もない僕は、笑うことってひとつすごい大事なことと思っていて、笑うことでほんの少しでもいいからそんな状況を変えたいっていうか、前を向いて欲しいなってのがあるから人を笑顔にしたいのかもしれない。
そしてなぜかぼくは、んー、社会的に不利な人?んー、困ってる人?
いやでもこういう考え方は好きじゃなくて、不利とか困ってるって自分の方が立場が上って感じで使ってる気がして嫌だ笑 人に上も下もないし、その人なりの幸せがあるし。
だけどなんかそういった人に自分自身、力のベクトルが働きやすい。なんなら自分なんかすぐ犠牲にできる。
なんでだろうなって考えたとき、やっぱあった。理由が。
保育園の時からの親友とか周りの仲の良い友達が結構な確率で不登校で保健室登校だったりして。あと足がちょっとわるくて生活には松葉杖が必要だったり。別に不登校とかそういうのはなんとも思ってなかったけど、やっぱり不登校ってだけで冷ややかな目を向ける人もいて。ちゃんと話したら面白い人なのに!なんでわかってくれないのかなぁ…。みたいなことを考えて生徒会長に立候補したのもある。不登校って理由だけでその人を決めつけてしまう、そんな状況を変えたくて。なんかそんな感じで社会的に不利だったり、そういったことに対しての問題意識というか原体験がある気がする。
多分、なにかしらのハンデがあって自分がしたいことができなかったり、決めつけられたり、そんな格差がある社会・世界が嫌なんだなって思う。
そして大学で経験したこともつながっていたりする。
大学の時に18人いるゼミに所属していたけど、先生からみんなが散らかした後の後片付けをしてほしいって言われてゼミ長をさせていただいていた。
よくあるリーダー像とはちょっと違って最初はよくわからなかったけど、俺についてこい!みたいなリーダーシップは苦手だったから気が楽だった。
けどまだゼミが始まってないのにゼミを辞めたいって言ってきたゼミ生がいたり(笑)3年間いろいろあった。
でも全然嫌じゃなかった。ゼミ長だからとかそんなのも関係なかった。話を聞いてあげることしか自分にはできなかったけど、その人がこうしたい、こう考えてるとか、それが少しでも前に進んだり、進まなかったり、解決したり、解決しなかったり。なんか一緒に悩んだりするそういう関係性がすごい心地よかったのを覚えている。
ハッピーじゃん
で、やっぱりそれはいまにつながってるんじゃないかって思う。
テンラボに合流したのは鹿児島の為に、地元大崎町の為になにかしたいって気持ちもあったし、テンラボのビジョンとかミッションに共感したし、いいなって思ったし、どこか勢いというか直感もあった。
でもこうやって振り返ると共感するのはなんとなくわかるというか。僕は人を応援したり後押ししたり、人がなにかに挑戦したり考えたり、でそこに格差なんてなくて、そんな世界であったらいいなって頭のどっかで考えてるのかもなって。自覚はないけど。よく考えてみたらそうなんじゃないかって。
だから人を笑顔にしたいのもホスピタルクラウンも手段なんだよ。
って考えたらやっぱりこの組織にいることは必然的な気がするし、なかなかイケてる選択をした気がしている。
だからこの組織で僕が学ぶことはたくさんあるなって思う。
って考えてたらつまり自分ってハッピーだなって思うの!
1年も残り半分。どんな半年になるかな。
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