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初めて絵を買った時の心の流れを忘れない

「この絵を見て下さい」
良く晴れた昼下がりにあてもなく街を歩いていたらギャラリーの前で女性に呼び止められた。

女性が手にした絵を見た後に目が合い
「中の絵も見て下さい」と誘導され、私は言われるがままにギャラリーの中へ入っていった。

いくつかの絵を見る中で一枚の絵が私の足を止めると、彼女はその絵がインゲルという既に亡くなってしまった画家の絵であることを説明して、彼の他の作品を紹介し始めた。

彼女は私が絵を買う僅かな可能性を少しでも広げようとしているようだったから、絵を買う気のない私はその場を去ろうとした。

すると彼女はインゲルの絵を並べて、どれが1番気になるかを聞いてきた。
彼女は私が去ることを止めたいようだったが、その言動に強引さは感じられなかったので、
私は言われた通りインゲルの絵の中から気になる絵を選ぶことにした。

彼女は私が選んだ絵について、他の絵との色合いや描かれ方の違いを説明をしてくれたが、いずれにしても絵を買うつもりがなかった私は去り際を見極めていた。

もう1度帰る素振りを見せると彼女は私が選んだ絵を壁に合わせて

「この絵を部屋に絵を飾って欲しいんです」

と言った。
彼女の心に絵を買って欲しいという思いが隠されていたとしても「飾って欲しい」という言葉に好感を感じて、私はもう少し説明を聞いてみようと心が傾いた。

ギャラリーにはインゲルの絵を版画にしたものが飾ってあり、彼女はインゲルの絵を摺師が版画にしたことを教えてくれた。

インゲルの絵が版画にされているのを見て、彼が描いた世界が忠実に版画に写し出されていることを感じ、私は画家と摺師の関係に興味を抱いた。

画家の描いた絵を摺師がどう表現するのか。
ゼロからアートを生み出す画家とそれを版画へ転化する摺師の関係は作曲家とピアニストのようだ。

私は気になったことを思いつくまま彼女に話すと絵の説明に饒舌だった彼女は束の間言葉を失い、その目は少しだけ潤んでいるようだった。

なぜ彼女の目が潤んでいるかは分からなかったがその時私は、この絵を買ったら絵を見る度に今日のことを出すが、この絵を買わなければ今日の記憶はその内日常に紛れて忘れてしまうだろうと思った。

私は、それ程関心がない→興味を抱く→買おうか迷い始めるという自らの心の流れを自覚して、彼女も私がようやく絵を買う可能性に揺さぶられ始めたことに気付いたようだった。

彼女は私に絵を部屋に飾った後のことを想像させてくれ、私はその絵が及ぼす日々の細やかな変化に期待を抱いていた。
彼女は最初の頃のように多くを語らず、私にその絵をどう捉えるかを委ねているようだった。

既に私はギャラリーに入ってから、絵を売るという仕事に対しての彼女の熱意を十分に受け取っていた。

だからこそ私は絵を買うかを彼女の熱意に左右されず、絵の価値によって判断しようと決めた。
彼女の熱意を考慮せず、絵を買いたいと思った時が買い時だし、その方が絵を勧める彼女に対してもフェアだと思った。

そして私の心は「買おうか迷っている」から「買う決め手になる理由が欲しい」ところまで傾いていた。

私はもう1度気になっていたインゲルの絵を見て、描かれた時期や背景を問いそれを想像した後に彼女に絵のタイトルを聞いた。

「薔薇のつぼみ」

そのタイトルの響きは私を魅了し、私は部屋に飾られている絵をもう1度だけ想像して日々の生活のことを考えた。

私は絵を買うことを彼女に伝えた。

彼女の目の潤いは渇いていたが表情には明るい安堵が表れていた。

帰宅すると私は早速部屋に絵を飾り、ソファに座り絵を眺めてみた。
今日の記憶はまだ新しい。

その価値は絵そのものだけでなく、それを見た時に呼び起こされる記憶や沸き起こる感情にも宿っている。ならばその価値は時の流れと共に変化していくのだろう、と飾られた絵がそっと教えてくれた。

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