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私の嫌いな言葉は「わからない」だ(No.25)

僕がジムでせっせと腹筋をしていたときにふと目にした言葉だった。

通っているジムに大きなスクリーンで一つ番組が流れている。チャンネル設定は誰がしているのか分からないが多分みんながよく見るような番組を流しているのだろう。

タイトルにもあるこの言葉は、先日たまたま見かけたドラマ家庭教師のトラコでのワンシーン。

ドラマの中ではわかんないと言って甘えるな的なニュアンスで使われていたが、僕はこの時わからないについて少し色々ぐるぐると考えてしまった。

「なんでこんなのもわからないの?」「わからなかったら恥ずかしい」など通常ネガティブな意味で使われる事が多いが、僕の中で「わからない」は歓迎すべき状況とポジティブに捉えていいのではと考えている。

理由は、わからないとは逆に考えると新しいことに取り組んでいる途中にいるかもしれないから。

分からないからこそ人は考えて、調べるし、悩むと思う。そもそも自分がわかるものだけに囲まれた世界だったら、わからない→わかるに移行した時の達成感や腑に落ちるスカッとした感覚は味わえないんじゃないかな。

わかるってことはある程度予想がつくこととも言い換えられるから、結果がわかってるものに対して人は努力しないだろうし、努力しないからその分感情が動くことも少ないから記憶にも残りづらい。

わからないと思ってからこそが新しい挑戦への本番だと改めて思う。

p.s.

個人的には会話してて、自分が何がわからないかがわからないって言う人の方が分かったフリをする人より好感が持てる。




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