自己紹介_拗らせぽっちゃり人生(幼少期編)
■1971年のおばさんです
人生はいろいろ、子供はいません(授かりませんでした)。夫婦二人で細々とやってます。
タバコが苦手です。お酒も下戸です。だからいっぱい食べちゃうのでぽっちゃりです。
今回は、ぽっちゃりした体型と、どうして私が「拗らせぽっちゃりキャラ」なのか幼少期のころを振り返りを…。
■身体の弱いぽっちゃり幼少期
▼昭和は見た目をいじられる
子供ころからぽっちゃりでした。
背が低いのに丸みのあるタイプだったので、小学生の4年生ぐらいから男子からは「デ~ブ」と言われ、近所のおばさんに「太ってるねぇ~」とか「健康そうだねぇ」などなど言われていました。
▼小児喘息(ぜんそく)とアレルギーなどなど
・喘息で休み、アレルギーで見た目にも…。
問題は多く、母いわく幼児期の風邪がきっかで小児喘息(ぜんそく)になり、季節の変わり目や心労が重なった後に、喘息(ぜんそく)の発作になり学校を休みました。
アレルギーで腕や首や唇がかぶれ、見た目には清潔感のないお肌でした。それだけで劣勢でした。
・体力がないことが全てに影響。
例えば、運動会の練習や準備などが続くと、体調をくずし喘息(ぜんそく)の発作で学校を1週間ほど休み、運動会の当日はプログラムの段取りがわからず、足を引っ張ることばかりでした。
・「ダメな子」ループにはまって行く。
喘息(ぜんそく)しばらく学校を休む。
↓
最新の情報や勉強を知らない。
↓
クラスメイトに迷惑をかける。
昭和の先生は劣等生と言う。
↓
クラスの女子や男子に「とも子ちゃんてさぁ~」という陰口を聞く、もしくは伝えられる。
▼健康ではない子は→昭和は「ダメの子」だった。
平成後期や令和と違い、数日間休むと「体が弱いのは精神的に弱いから」とか「太っているのに弱いのねぇ」と体調不良に対して悪気のないお小言を言われました。
それはクラスメートや教師から言われ、噂が伝わり近所のおばさん方に言われることがありました。
ますますダメは人なんだと刷り込まれていたように思います。
▼迷惑をかけないように消極的になって行った。
喘息(ぜんそく)やアレルギーになぜ自分だけなるのか?!理由もわからないため、とりあえず「ダメな子」「とろい子」「勉強ができない子」なので迷惑をかけないように、まじめに、静かに教室の隅にいるようになったと思います。
▼ぽっちゃりの私を可愛がる両親
両親は、いっぱい食べてぽっちゃりの私を喜びました。戦後の時代を経験した両親は丸くなる私を可愛がり、病弱な私が体調が良い時にモリモリ食べることを喜んでいました。
■家から出ない子はテレビとお菓子が友達
学校から帰宅すると、昭和の子供なのに身体が弱いため自宅でテレビを観てお菓子やおにぎりを食べていました。
お家は、誰にも遠慮することなくゆっくりできる安全基地でした。
■自己肯定感が無いぽっちゃりは「デブキャラ」になりデヘデヘ
幼少期の自分自身の心理的な骨格ができる前に「太っている」と他人に言われ、身体が弱いから人より劣ると言われ続けると、今でい言うところの自虐的な方向へ進み、「こんな私ですが何卒~」となっていました。
自分の立ち位置まで「太っている子」から、さらに明るいふりをして「面白い子」となり、プラス「いっぱい食べる子」という立ち位置に着き、デヘデヘするようになりました。
そんなキャラクターを大人になった今でも続けてしまっている人生です。
■「拗らせ」は「病弱+ぽっちゃり」だった幼少期が影響
●太っていることが問題なのかどうかを知るまえに、世間はぽっちゃり女子に厳しかった。
●自分を小さく見せダメな女子というキャラを演じるだけでなく、そのものになってしまった。
●「ストレスで食べる。ご褒美に食べる。」ようになりました。
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人に疲れる性格をどうやって乗りこなすか。
50代にもなるのにまだわかりません。
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