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寄り道したい。

今日は持病の受診日。
私の病気は今のところ
コレと言った治療方法が無い
難病というカテゴリーに属するものなので
受診と言っても毎度毎度
血液検査をして
「ちょっといいね」
とか
「あまり良くないね」
とか
特定の血液成分の値とそれに関する医師の感想を
聞きに行くだけ。
まあ、もんのすごーく結果が悪ければ
入院したり、対症療法的に内服が始まったりもするのだけど、この病気と付き合って10数年
そうした事は1度きりで
後はずっと、検査結果と医師の感想で過ぎている。
医師と対面する時間は5分もあるだろうか?
その為に
車で小一時間かけて通院する。

で、だ。

せっかく小一時間もかけて
のんびりした光景の広がる自宅から
ちょっとしたオマチまで行くのだから
美味しい和菓子屋さんとか
大きなスーパーとか
変わったものがありそうな本屋さんとか
可愛らしい雑貨屋さんとか
品揃え豊富な文具屋さんとか
香り高いコーヒー屋さん
寄りたいものである。

若い頃、、、っていうか
子供の頃から友達が少なく
ひとり行動はへっちゃらな方で
割と何処でもひとりで入れる質なのだが
如何せん
《移動》
に弱い。

移動に伴う手段のほぼ全てが
ポンコツに仕上がっている。

まず致命的なのが絶望的に
方向音痴
であること。
いやっ!そこから?って話だ。
方向音痴族のみなさんには深く頷いていただける感覚かと思うのだけれど
・「こっちだ!」が99%違っている。
・ひとつ角を曲がると異世界
・ナビの説明で尚更困惑
・目印が姿を消す
・地図って何ですか?
・謎の自信を持って進んでしまう(当然間違っている)
というような現象が
知らない道だからではなく
ものすご〜く通っている道でも起きる。

徒歩ならまだいい。
とんでもない場所にたどり着く前に
歩みを止める事が出来る。

がしかし
公共交通機関だとそうはいかない。
目的地とは異なるホームやバス停に立ち
決して目的地に向かう事の無い電車やバスに
迷いなく乗ってしまうのだから
とんでもない場所に降り立つ事になり
目的地に辿り着く事はもはや無い。

で最後。
車だ。
これには
《運転技術》
という別問題がプラスされる。
私にはこの技術も絶望的に無い。
免許証取得の際にもかなりの期間を要した。
(我ながらよく取れたものだ)
間違わないように途中の車線変更及び曲がり角は
無しの道順を選択しイメトレ後に出発。
通院路をただひたすらに真っ直ぐに進み
着いたら着いたで
慎重なる駐車(全方位モニター付)。
それだけで精一杯。
運転上手の方々にとっては
私のようなドライバーは存在して欲しくないだろうけれど、車無しでは様々に生活が成り立たないので
恐縮しながら必要最低限の運転をさせていただいている。

病院へは
直で行ける公共交通機関は無い。
なので
車での通院となる。
自分の為、そして世の平穏の為
極力オットに連れて行ってもらう。
けれど
自営業とは言え、オットにも都合というものがあり
自分で運転して通院しなければならない時もある。
決死の覚悟である。
(こんな人が公道走ってホントすみません)

無事に行って
無事に帰るまでが通院です。

和菓子屋さんにも
スーパーにも
本屋さんにも
雑貨屋さんにも
文具屋さんにも
コーヒー屋さんにも
寄れはしない。
店先を通り過ぎる事すらない。
(通院路に無いから)

お店にひとりで入る事は出来るのに
ひとりで楽しく買い物したり、
飲んだり食べたり出来るのに、
ひとりでお店に辿り着く事が出来ない、、、。

くそぅ!くそぅ!である。

それでも何かに抗おうと
最近自転車を手に入れた。
言わずもがな
運動神経の方も絶望的なのだが
車の運転よりはマシ。
ご近所なら車より自転車の方が
自分の為にも世の平穏の為にも良い。
オマチのような賑やかさはないかわりに
自宅界隈はのどかで行き交う車も少なく道も広い。
「物産所に行ったついでに図書館に寄ろう!」
限られた世界には
今の私に丁度良い楽しみが沢山あるじゃないか。
素朴だけれど
憧れの気ままな寄り道を楽しもう。

出来ない事を頑張る気力も体力も
もなや無い。
それでも小さく道は開ける。
だから
今日も道に迷いつつ
必死にペダルを漕ぐのである。

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