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私がオバサンになっても

 私は子どもの頃、相反する憧れがありました。一つはお姫様になることです。美しさで王子様に選ばれるシンデレラ。シンデレラをいじめていたのは、醜い継母と義理の姉妹でした。当時私は自分のことを唯一無二の存在で、誰よりも可愛く、全ての人が羨む美貌の持ち主だと信じていました。


 片や、男の子になりたいという気持ちも多くありました。小学生の頃、女子は男子より成長が早く,体も大きく、言語能力に長けていたので、「男子なんて」という気持ちでいましたが、家庭では父から「男子は小学校中学校では女子に遅れをとるが、高校生になる頃には体も頭脳も女子のそれを凌駕するようになる」「料理人や政治家など、一流と言われる人間は全て男性である」「勉強もスポーツも女は男に勝てない」と言われ、ずっと違和感を持ち続けていました。


 それが理由なのかは分かりませんが、男の子っぽい格好をするのが好きで、「男の子みたい」と言われるのが好きでした。また、男子と少年ジャンプや機動戦士ガンダムの話で盛り上がるのが好きでした。「あいつは分かってる女子だ」と言われたかったのかもしれません。でも、機動戦士ガンダムを好きだったのは、決してポーズではありませんでした。


 そして、小学校では隣の席に座っているショウゴくんが休み時間に「今週のザ・ベストテン!」と久米宏さながらに、クラスの女の子のランク付けをするのを聞かされました。そこで私は自分の容姿が自分が思っているほど優れていないことをティーンエイジャーになる前に気づかされました。たまーに「スポットライト」としてしかベストテンに出演させてもらえなかったのです。


 ここまで書いてきて初めて気づいたのですが、ひょっとしたら、空気を読むのが上手い次女の性で、子どもながらに「美しくない女は男と共通の話題を持ち、同志として仲良くなることでしか評価されない」と悟ったのかもしれません。つまり「名誉男性」の旨味を知ってしまったのです。この恩恵に30代まで無意識に預かっていました。


 最近、「女性は優秀だ」という声を聞くことがあります。心がひねくれてしまった私には「女性は従順だ」と聞こえてしまいます。「言うことを聞くから扱いやすい」と思われているのではないかと感じてしまうのです。その点、私は従順ではありませんので、扱いにくい女なのかもしれません。気が弱いくせに我が強いのです。自分で言うのもなんですが、困ったものです。
 

 そして「女性は自ら前に出たがらない」と非難する声がありますが、前に出ると「女のくせに」とか「目立ちたがり」とか「ヒステリー」と言われます。果ては容姿を貶されたりします。最近、男性は男に生まれただけで既得権益を得ているので、女性が優秀だとその既得権益を奪われることが怖くて仕方がないのかなぁ?と憐れに思うことがあります。

 でも、よく考えてください。世の中の約半分は女性です。フェミニズムやジェンダー問題はデリケートな問題だと言われますが、小難しいエビデンスやロジックを用いなくても、子どもでもわかるシンプルな話です。なぜ男の列と女の列を、横でなく縦で割るのでしょうか?

 社会を動かすのは社会を構成する男と女であるべきです。ここでは話が込み入るのを避けるために単純に2分化していますが、もちろん性的マイノリティの方もそうです。女性の社会参加は、もちろん当事者が進んで行うべきですが、女性も男性も「当たり前」のことに気づいて欲しいのです。そうでないと、ほとんどのことを男性が決めてしまうこの社会の中で女性は生きづらく、しんどい思いをしてまで子どもを産みたいと思いません。そんな社会は滅びてしまうだけでしょう。男が優秀、女が優秀ではなく、どちらも優秀な人がいるというのも「当たり前」のことです。

 過疎化、少子高齢化を憂い、観光に力を入れる前にまず考えるべきことは「男も女も働きやすく、生活しやすい」地域作りではないでしょうか。
 「お姫様になりたい、男になりたい」と願った私は、どちらにもなれず、子どもも産まずに、おばさんになりました。

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