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「娘」とは女親が唯一ケアしなくても良い存在

   今年の春から、実家住まいである。身体も精神も弱り果て、仕事にも行けず、ただ引きこもっていた私のことを父が見かねて「帰ってこないか?」と。いつもは強権的な父親が「帰ってこい」とは言わなかった。自分で思っているよりも、よっぽどひどい有様で、同情心しか湧かなかったのかもしれない。
 4月初旬から同居を始めたのだが、最初は病院に行くのが精いっぱいで、家で本や漫画を読み漁り、ひたすらダラダラしていた。しかしそのうち何もしないのが心苦しくなってきて、夕ご飯を作る役を買って出た。もともと母親が加齢に伴い、炊事をするのが億劫になり、適当な食事を作るのが気に入らなかった。それなら自分がやった方が自分の食べたいものが食べられるし、母も楽ができるし、父は私が作る料理の方が健康的で好ましいと思っているようだし、丸く収まると考えた。

 今では家事の役割分担がはっきりと決まっている。掃除や片付け、生活雑貨の買い物は母、洗濯物を洗う、干す、取り入れる、畳むのは父。そして料理や食材の買い物は私。みな、なんとなく他の人のやり方が微妙に気になりながらも、なるべく口を出さずに過ごしている。

 ところが、一つ気になったことがある。一昨年までは実家には私の弟と、その息子(両親にとっては息子と孫)が住んでいて、母としては世代が違うこともあり、料理に苦労をしていたという。確かに育ち盛りで、かつ好き嫌いのある若い男と、体に気を使わなければならない70代後半の両親とは食べるものも量も違いすぎるし、大変だったろう。私もその状況だったら毎日何を作ろうか頭を悩ませるだろう。老齢の母にとって毎日の料理は苦痛だったと思う。だが、今現在私の料理に一番不満を持っていそうなのが母だ。

 はっきりとは言わないが、母は食べられないものはあまりないのだが、「すすんで食べたくないもの」がたくさんあり、「まずい」とは言わないが「これはあんまり好きじゃない」とか、「肉はあんまり食べたくない」などとちょこちょこ不満を漏らす。父は何を出しても何も言わずに食べるのだが、母はすぐ顔や態度に出る。おかげで最近では母が「食べたくないもの」をだいぶ把握してきた。

 母は夫や息子や甥の好き嫌いをよく覚えている。だが、私の好きなものや食べられないもののことは何一つ知らない(姉のこともそうだ)。一部の果物にアレルギーがあることは、昔から言っているのだが、全く覚えておらず、よくすすめられ、毎回説明しなければならない。多分私が親より先に死んでも、「あの子は何が好きだったっけ?」と言ってお墓や仏壇に供えるものに困るだろう。このように、女親にとって娘はケアする存在では無く、当たり前に自分がケアしてもらう存在なのである。母が今までいかに夫や息子や孫に対して気を使って料理をしてきたのか考えれば、私に対する態度がいかに逆転的かつ父権的であるのか分かるだろうが、もう高齢なので、言っても伝わらないだろう。
 先日、体調が悪くて夕飯を作る気がしなかった時があった。その時の母からの言葉が忘れられない「大丈夫、簡単なものでいいよ」。SNSなどで、体調が悪い妻に言ってはいけないワード第一位である。なぜ言ってはいけないのか分からない人は「相手の立場に立ってものを考える」という基本に戻ってほしい。人間は立場が変わると、言葉も変わる。

 最後に母よ、私の好きな飲み物はオロナミンCとコーヒー、食べ物はざるそば、おにぎりです。そこんとこ、よろしく。


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