見出し画像

親ガチャ考

 最近インターネットで「親ガチャ」なる言葉が物議を醸している。自分的にこの言葉は数年前から、あるブロガーがやたらと使っていたので「何を今頃騒いでいるんだろう?」と思ったのだが、茂木健一郎氏が「親ガチャ」についての動画を上げていたので、改めて考えてみた。

 まず、「親ガチャ」とは「親はガチャガチャ」の略で、「ガチャガチャ」とは昭和の昔からある、硬貨を入れてハンドルを回せば、おもちゃが入ったカプセルが出てくる販売機である。その、「何が出てくるか分からない」「ランダムなもの」「当たり外れがある」の例えとして「ガチャ」という言葉が使われている。つまり、「親ガチャ」とは、「子どもは親を選ぶことが出来ない」という考え方である。


 その「親ガチャ」説に立つと、それ以前に「国ガチャ」「時代ガチャ」「きょうだいガチャ」まで問われる。「住所ガチャ」は大人はある程度自分の意志で好きな場所に住むことができるが、子どもにとってはいかんともしがたい。そして、「学校ガチャ」「クラスガチャ」「隣の席ガチャ」「担任ガチャ」・・。苦労して上場企業に就職したとしても「職場ガチャ」「上司ガチャ」「同僚ガチャ」「部署ガチャ」、果ては「恋愛ガチャ」から、自由恋愛で結婚したとしても「配偶者の親戚ガチャ」「隣人ガチャ」「住宅ガチャ」、究極、親も子どもを選べないと主張すれば「子どもガチャ」まで成立する。

 こうやって考えてみると、世の中ほとんど「ガチャ」である。つまり、人間というものは偶然の積み重ねで出来上がったものではないかということだ。だが、「ガチャ」とか言ってるやつは努力や根性が足りないだけだ!と、非難する気は全くない。お金持ちの家に生まれていれば、どんなに成績が悪くても、お金さえあればどこかの大学に入学することができるからいいなぁと思ったことが、私にもある。


 一方、人間の知能や才能はほぼ遺伝、という考え方も最近流布している。これもなんだかやる気を削がれる。というと、「そんなことでやる気が削がれるのも遺伝だ!」とか滅茶苦茶なことを言われそうで怖い。


 かなり多くの一卵性双生児を長期的に調べた実験で、指紋は98%くらいの確率で相似するが、ことIQになると相似性は70%台まで落ちるという結果が出ているそうだ。ほぼ全てが遺伝だという人からすると「かなりの高確率だ、遺伝だから致し方ない」という話だが、私は逆に遺伝子が全く同じはずの一卵性双生児ですら100%同じではないということは、やはり「環境」「教育」そして「経験」の影響も少なからずあるのだと確信した。


 確かに顔や体形、病気などを見れば遺伝の影響は強いかもしれない。だが、それでほぼ全て決まると言われると、そうではない。一卵性双生児であっても歳を重ねて顔が全然似てない人が沢山いる。それはそうだ、双子であっても全く同じ人生を歩む人などいない。結婚できるかどうかも異なるし、配偶者も異なる。職業も違えば知識も変わってくる。子どもを一人持つ、複数持つ、全く持たない、事故に遭う、遭わない、ケガをする、しない。


 私たちは先天的に持ったものを武器にして、それぞれに違う戦いに挑んでいるのだ。おのずと結果は変わってくるだろう。そして、ほぼ全てが遺伝であるという説に立つと、「努力できるかどうかも遺伝」ということになるらしいので、私の様に根性がない人間も「根性がないのは遺伝です」と堂々と言い放つことが出来る。そして、よく考えると何がどう遺伝するかも「ガチャ」である・・。
 この二つの考え方を並べてみると、世の中はほとんどガチャ(運)でありながら、遺伝(運命)であるという真逆の関係だとわかる。「ガチャ」説に立つと、「私は不運で貧乏な家に生まれたので、なんでも努力と根性で乗り切れ!とか一切言わないでください!」そして「遺伝」説に立つと、「私にやる気とか気合が足りないのはすべて遺伝なので仕方がないんです」で、人間は全く変われません、努力なんて意味ありません!ということになるのではないだろうか?


 私たちは運命的な性質・才能を持ちながらも、「偶然」という双子でさえ絶対に共有できないもののおかげで、独自の人間になるのだと信じたい。遺伝が100%でもないし、ガチャが100%でもない。白と黒の間にはグレーがある。グレーだって青みのものから赤みのものまである。そう思わないと、良心をもって生き続けることなんてできない!そう思いませんか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?