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サード・アイ

 生まれてこのかた誰にも話したことが無いが、実は、私には目が三つある。二つは顔の平均的な場所に存在するのだが、三つめは後頭部に、12歳で迎えた初潮とともに少しずつ現れてきた。そんなところに目があったら美容師にバレるのでは?と思うかもしれないが、第三の目はもともと髪の毛で保護されているからか、まつげが生えておらず、ギュッとつぶれば、「子供の時にジャングルジムから落ちたときにできた傷」ということにして今まで誰にも異議を唱えられていない。こういう時、「女」であるがゆえ、体の傷について触れることがタブーとなっていることには感謝している。


 私の容姿は「ふつう」である。これは謙遜ではない。第三の目が捉えるナンパを断った後の反応などから、客観的に分かる。伊達に三つ目歴23年、齢35歳ではない。だが、私の体形は「ある種の人にとってかなり魅力的」らしい。私が前を向いているときには見せない反応が、後ろ姿を見せた時に集中的に現れる。臀部(でんぶ)と足首である。私の幼少期を知る母の友人からいつも言われる。
「あおいちゃんは子どものころからお尻がぷりぷりっとして、タイトスカートがほんとによく似合うわ~。」


 男、時には女からも臀部から足首までをなめ回すように見つめられることがある。男の方は単純に性の対象としての視線だが、女で失礼なほど見つめてくるのは、大体が性的にストレートの人間だ。羨望のまなざしか、女としての優劣を身体でつけたいと思っているタイプだ。逆に同性愛者と思われる女の目は、性嗜好を隠したり、恥じている人間が多いので、他人に気づかれぬよう、ほとんどが遠慮がちである。ちなみに昔付き合っていた男に言わせると、私のそれは立体的過ぎない流麗な弧を描き、最後に足首でキュっと締まり「習字の止めはね」のごとき美しさ、だそうだ。

「コーリツさん、今回の見積もり、なかなか頑張ってくれたね~」
 取引先の大洋測器の大浦部長と坂下課長が、書類に目を落として言った。
「はい、ありがたいことに、大洋測器様にご協力頂いて、こういった入札物件を今まで何度も落札しております。今回も御社様だけの特別の仕切り値です。国交省からのコンクリート内部鉄筋探査機100台の物件なんて、10年に1度あるかないかです。別注品なんでメーカーの方にもよく説明いたしました。」


 今日はここぞという取引だ。私はタイトスカートに、透けるタイプの黒のストッキング、そして足が一番きれいに見えるという7㎝ヒールのパンプスを履いて商談に臨んだ。
「立花さんはほんとによくやってくれて、うちも感謝してますよ。」
 大浦部長が柔和な笑顔で話している途中、内線が鳴った。
「少しだけ、ごめんなさい。すぐ終わらせますから」
 大浦部長は私に手刀を切るしぐさを見せ、自分のデスクに戻った。
 私は建設土木系の商社でもう15年、営業職をしている。中小クラスの小売店への見積もりなどは新人にまかせ、県や国の数千万円単位の大規模入札物件の受注に力を入れている。しかし肩書はまだ「主任」だ。
「坂下くん、ちょっとこっちに来てくれるか?」
 大浦部長はデスクのPCを見ながら私の対面のソファに座る坂下課長を呼んだ。
「立花さん、ごめんなさい、ちょっとそこでゆっくりお茶でも飲んでてね」
「ありがとうございます」
 坂下課長も席を外した。私は改めてソファに少し斜めに掛けて、彼らに背を向ける形になり第三の目で様子を見ていた。出されたお茶に手を付け、二つの目は手帳を熱心に読むふりをしていた。いつも私の後ろ姿を凝視する坂下課長が今日は見張るようにこちらを二度ちらっと見て、大浦部長の耳に手をあて、何かを話している。デスクの上には見覚えのあるうちのライバル会社、「KAWAIDA」の特長のある色の封筒が、端のほうだけ見えた。関東に強い「KAWAIDA」が九州の大洋測器に近づいて来ている。かなりの大型入札だ、競合しているに違いない。

「立花くん、おめでとう!今期一番の成約じゃないか!いや、助かった!これは決算が楽しみだな。立花くんなら一足飛びに昇進も夢じゃないな。素晴らしい!」
 私は「KAWAIDA」が弱点とする運送にかかる経費を、さらに落とした見積りを再提出し、見事国交省の物件を大洋測器とともに落札した。しかし浮かれた社長が「昇進」という言葉を出してしまったのは喜べない。また社内の噂好きの恰好の餌になってしまった。ただでさえ第三の目のおかげで、男性・女性関わらず営業の間で「立花サンは絶対枕営業してる」「間違いない!顔は大したことないけどあの尻な!」などというチャットが飛び交っているのを知っているというのに。

 今日はいつもより2時間も早く帰ることができた。ゆっくりお風呂に入れると喜んでいたのもつかの間、第三の目が捉えた。駅から歩いて帰る途中、後ろからくる自転車に乗った男が私の後ろ姿を値踏みして、通りすがりに振り返り顔を見た。老いも若きも7割の男の習性。だが、慣れっこだ。なにより私はこの第三の目や、魅力があると言われる体形を利用して生きているのだから。

「ただいまー」
 明かりのついた部屋に向けて言い、苦痛でしかないパンプスを脱ぎ捨てた。
「おかえりー!どうしたの?今日は早かったね~」
 嬉しいのと驚きが伝わる声が明るく響き、麻美は玄関まで出てきてくれた。そして、いつものようにハグとキスをした。
「今日はね、大きな仕事が決まったから早く帰れたの。」
「えー!何かわかんないけど良かったね~!おめでとう!」
 さらにキスの嵐を浴びた。麻美は風呂上りのいい匂いがする。
「じゃあ、じゃあ!今日はごちそう食べに行こうか?ゆっくりと話も聞きたいし」
 麻美は子どもみたいにそわそわしながら言った。
「たまにはいいかもね。ちょっと待ってて、着替えるから」
 ジャケット、シャツ、タイトスカート、ストッキングを脱ぎ、クローゼットからは、体のラインが出ない足首まで隠れるロングワンピースを選んだ。二人で部屋を出て、エレベーターに乗ったとたん、麻美は私のことを正面からじっと見て、
「そのワンピース、あおいにすっごく似合うね」
 と言ってまた抱き着いてきた。素っ気ない出で立ちを褒めてくれる彼女の頬は柔らかく、温かくて、ずっと重ねていたい。麻美が私の体形も、妙に冷めたところがある性格も愛してくれていると信じたい。私が同性愛の女性を好きになり、多くの男性に失望してしまったことは第三の目を持ってしまったことと大いに関係がある。 
 でも、麻美と二人でいる時は二つの目で見える事だけで十分だ。エレベーターの鏡を背に、私は穿った目、サードアイをそっと閉じた。

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