深い森

てつがくとおいしゃさん②

こんにちは。
てつがくとおいしゃさん①の続きです。

学生時代の職業適性検査は「哲学者」と「画家」でした。どちらもどうやってなるかわからず仕舞い。会社員やってました。

さて。

初めましての、哲学者さんと精神科のお医者さん。
我が家の可愛い息子たち二人とそのパパの男性陣3人は仲良し。
ママであり、妻である私は微笑んだり、泣いたり、怒ったりと忙しい。対話時間は1時間という限られた時間の中で、疑問をドンドンぶつけました。

内容の詳細は割愛で申し訳ない。
具体例が無くて訳わからないと思うのですが。
問いに問いに問いを重ねて話していたら。
心の霧がゆっくりと晴れていくような気持ちになりました。
過去にカウンセリングや面談も受けていた私。その頃は納得できる答えが無くて苦しんで泣いて家に帰ったもの。
ところが。
今回は、落ち着いて、笑うことさえできたのです。

不思議なことが置きました。話すうちに悩み事が離散して消えていったのです。
哲学者の方が言いました。「問いが問いを消したんだね」と。悩んではいなかったのかもしれない。聞きたかったのはそれじゃないかもしれない、と。もうすでに幸せである、と。
正解を探さない、相手が答えをくれるわけでもない。ただ自分自身との対話を専門家がサポートしてくれる時間。私はこの時間がとても幸せだった。今の私にその力はないけれど。いつかそんな気持ちになれる時間を私も提供してみたいとその時小さく、同時に強く願い、思いました。正解や正論が人を救うのではない。問いを立て、仮説を実践し、検証し、考察し。その繰り返しをしていくこと、生き続けていけると感じて暮らしていけること、なのだ。

そして、なかなか愉快な人生を歩んできた私。
それなりの苦労があったり、壁にぶつかってきたり、ありましたありました。
でもね、私は好んでその道を歩いてきたのかもしれない、という話になりました。だって平坦な道ばかりの人生じゃちょっと退屈じゃないか、っていうこと。

問いが問いを消したもう一つの理由は私の「視点」が変化したからです。物事の捉え方が知らず知らずのうちに変わっていました。

「幽霊正体見たり枯れ尾花」って言いますもんね、と私が言いました。私が怖い怖いと目をふさぎながら歩いてきた道の先にあるのは幽霊じゃなくてただの枯れたススキだったんじゃないか、ってね。

そして精神科の先生がこんな風に教えてくれました。
「きっとずっとオバケの森を歩いてきたんだね」と。

私は幼い頃、誰かと仲良くすることが苦手で一人ぼっちの時間がよくあった。その時間を後悔はしていない。楽しい時間もたくさんあった。
きっとオバケの森を歩いてきて自分とずっと対話を重ねてきたんだと思う。
そんな風に思うことができる時間を持つ好機に恵まれて、とても嬉しかったことを覚えている。

だから、その思い出を忘れないように、このnoteは「オバケの森」と名付けています。今日会った私のオバケを1人1人紹介できたらと思います。

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