【ショートショート】記憶

 「ついに完成したぞ!!」
 ヒッチ博士は歓喜の声を上げた。実験に実験を重ねた結果、長年待ち望んだ薬がついに完成したのだ。
 「これを飲めば、前世の記憶を全てを引き継いで、生まれ変われる。」
 博士は、以前から人が死んで生まれ変わる時、全ての記憶が失われるのは、あまりにもったい無いと思っていた。知識を学び、素晴らしい経験をしても、死んでしまえばそれは全て無に帰す。高く積み上げた積み木がある時、バラバラに崩れ去るような虚しい感覚。それをどうにかしたかった。
 それに人は歴史上、同じ過ちを何度も繰り返している。それは、時間が経つにつれて世代が変わり、その過ちを遠い過去のものにしてしまうからだ。ヒッチ博士はそうした状況を解決する方法を考えていた。そうして、苦心の末に記憶を失わない薬を完成させた。全ての人が、記憶を失わなければ、過ちの歴史も次に活かす事ができる。
 500mlのビーカーに入ったその液体は、怪しい緑色をしていたが、博士からすれば美しい森を彩る木々よりも、希望に満ちた緑色に見えた。
 「ガシャン!!」
 博士が喜びに浸っていたところ、窓ガラスが割れる音が家に響いた。身の危険を感じた博士は、ビーカーを机に置き、スマートフォンに手を伸ばそうとした。 
 「おっと、動かないでもらおうか。」
 実験を行なっていた部屋の入り口のドアが開くと、そこには侵入者が立っていた。坊主頭で目つきは鋭く、左の頬には口元から耳の近くまで、刃物でついたであろう大きな傷跡が残っている。手には拳銃のようなものを持っており、その佇まいからして、こうした状況には慣れていそうだ。
 「あんた金持ってるんだってな。それ全部もらおうか。」
 男は銃口を博士に向けると、低く野太い声でそう告げた。
 博士はすでに80代だが、若い時からその頭脳を活かして、数々の研究成果を発表し、大学の教授や、企業の外部顧問などを歴任していた。そのため大富豪とまではいかなくてもそれなりの財産を築いていた。この家も、郊外に新築で1億円かけて建てたものだった。
 「わかった。だが、ほとんどの金は銀行に預けているし、投資にも回しているので、すぐに現金で用意することはできない。」
 博士は淡々と事実だけを述べたが、男は苛立ちを覚えたようで、早歩きで博士のすぐ側まで近づき、拳銃を胸に押し当てた。
 「金庫とかあんだろ。こっちはな、どうしても金が必要なんだよ。」
 男は直ぐにでも金を手に入れたい様子だったが、博士にはその理由を知る術はない。だが、何も渡さなければどんな危害を加えられるかわからない。博士は、両手を挙げると、男の気持ちを逆撫でないよう、慎重に言葉を選びながら告げた。
 「わかった。確かに金庫に多少の金は入っている。後ろの壁に隠してあるんだ。今取り出すから待ってくれ!」
 博士は、両手を挙げた状態で後ろを向き、部屋の壁際にある本棚に向かった。ある推理小説のシリーズを抜き出して入れ替えると、本棚がゆっくりと左右に動き金庫が姿を現した。博士が暗証番号を入力すると、ガシャンという音とともに金庫が開いた。中には、百万円の札束が十個ほどあるようだった。それを素早く取り出すと男に見せた。
 「金庫にあるのはこれだけだ。全て持っていってくれ。」
 男は博士に革のバッグを渡すと、その中に金を詰めるように指示した。相変わらず銃口はこちらを向いている。自分の命の行く末を誰かに握られている感覚は、決して心地いいものではない。彼の気まぐれで自分はこの世から消える。そう思うと、自然と汗が吹き出てくる。その汗を拭いながら、ようやく博士は全ての金をバッグに詰め込んだ。
 「よし、これで全部だな。」
 男はバッグを受け取ると中を確認した。だが、手にもっている拳銃の銃口は相変わらずこちらを向いている。
 「もう、君の用はすんだだろう?拳銃を下ろしてくれないかな?」
 博士は丁寧に紳士的に、男にお願いをした。
 「いやっ、そうはいかない。あんたは俺の顔をしっかり見てるからな。残念ながら生かしておくわけにはいかない。」
 博士の心拍数が一気に上がり、心臓が刻むそのリズムは精神をさらに動揺させた。
 「私は絶対誰にも話さない!頼む!命だけは…」
 博士が全ての言葉を言う前に、パンパンという乾いた2つの音が部屋に響いた。数秒後、鋭い痛みが博士を襲い、とっさに自分の胸を手で押さえた。たちまち、着ている服に赤い模様が浮き出てくる。博士はその場に前のめりに倒れた。
 男の方に視線を向けると、既に入り口のドアを開けて、部屋を出ていくところだった。
 「ここで、私は死ぬのか…。」
 唐突に人生が終わりを告げようとした時、人は何をしたいと思うだろうか。それは本人にしかわからない。だが、博士には明確にやりたいことがあった。
 「薬を飲むぞ。」
 つい、先ほど完成したあの薬を飲む。博士の意識はその一点に集中していた。銃弾による深刻な体へのダメージで、もはや立ち上がる力すら残っていないため、芋虫のように床を這いずりながら、薬の入ったビーカーを置いた机まで向かった。すでに命のカウントダウンは始まっている。
 ようやく机にたどり着くと、必死に体を起こしてテーブルの脚にしがみついた。手に力が入らない中、体を押しつけ少しずつ這い上がっていく。
 すぐ近くには希望がある。それだけで、少しだけ力が湧いてくるようだった。致死量に近い血液を体から流しながら、ついに博士は辿り着いた。
 震える手でビーカーを持つと、一気に薬を飲み干した。その直後、博士はカッと目を見開くと、まるで糸の切れた人形のように机に体を預けた。
 視界は真っ暗になり、今まさに意識が途切れようとする中、博士は頭の中で今世で最後の言葉を紡いだ。
 「まさか、こんな形で最期を迎えるとはな。まぁ、予定外ではあったがあの薬は遅かれ早かれ飲むことになっていたのだからよしとしよう。次の人生ではこの私の記憶をそのまま受け継いで生まれてくることになる。今から楽しみでしょうがない。」
 明るい来世へ想いを馳せながら、博士の命は終わりを告げた。

 「ここはどこだ?」
 眩い光に包まれた直後、博士は目を覚ました。はじめは意識がぼんやりとしていたが、やがて自分がヒッチ博士であったということや、前世での数々の出来事、学んだ知識なども思い出してきた。
 「成功だ!私は私のまま生まれ変わったのだ!」
 博士は来世に生まれ変わったら、まずやることを決めていた。ここがいつの時代で、どこに住んでいるか、家族構成や自分についての情報を把握することだ。
 寝ているベッドから体を起こし、キョロキョロと部屋を見渡すが、オモチャの種類や、家具の形などから、博士が生きていた頃とそんなに時代は変わらないように見えた。
 次に、自分の体を見てみる。手のサイズ、足のサイズ、全身の大きさなどから推測すると大体3歳ぐらいだろうか。試しに顔を摘んでみると、かつての自分とは大違いで、子供ならではの弾力のあるぷるんとした感触の肌だった。
 一通り、自分の今の状況を把握すると、違う部屋から声が聞こえてきた。
 「ライトくん。おやつですよ!」
 どうやら母親らしい。話す言語も博士の前世の時と同じものだった。ライトは今世で博士が呼ばれ続ける名前だ。だが、前世の記憶のある博士は呼ばれ慣れていない名前に、反応が遅れてしまった。
 「ライトくん?もしかしたら、寝てるのかしら?ねぇ、あなた様子を見てきてちょうだい。」
 「わかった。見てくるよ。」
 高い母親の少し高い声の後、低く野太い男の声が聞こえてきた。どうやら、夫らしく、妻の求めに対して少しめんどくさそうに返事をし、こちらに向かってきた。
 博士は少し心臓の鼓動が高まるのを感じた。向こうからすれば既に三年も一緒に過ごしている我が家の子であるが、こちらからすれば初対面の見ず知らずの大人である。前世では人見知りでもあったし、知らず知らずのうちに緊張しているのだと博士は思った。
 「ライト。おやつだぞ!」
 「あっ!」
 男の姿が見えた瞬間、博士は体を硬直させた。多少年齢は重ねているが、忘れもしない。鋭い目つきに、何より印象的な左頬の大きな傷跡。博士の心臓の鼓動が高まったのは、危険を察知する本能的なものだった。
 そう、目の前にいるのは博士が前世の最期に言葉を交わしたあの男だった。
 


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