見出し画像

性は汚い・みっともない・恥ずかしいという視点を見つめて

つい近年まで、性についての話題は政治・宗教並みに触れてはいけない雰囲気があった。思い返せば小さいころ、ドラマなどでお色気のシーンが流れると両親は強制的にチャンネルを変えていた。幼心に「触れてはいけないものなんだ」という意識が出来た気がする。

最近SNSを見ていると、以前よりずいぶん性のことについて大っぴらに投稿する人が増えた印象がある。そういう人たちへの印象は正直あまりよくなかった。

私の知人は「性の世界は素晴らしいから、みんな早く目覚めて!」というようなことをよくSNSで投稿していて、そっとミュートボタンを押したことがある。
性について声高に発信する人は空気を読まない自分勝手な人、みたいな思い込みがあった。

しかし近頃、私の周りで性について学ぶ人が増えてきた。性ねえ、私はいいや・・と思っていたのだが今年の正月、自分の女性性についてとことん失望した事件があり、腹をくくってお世話になっている先生に頼み込み、自分の性について向き合うことに決めた。

向き合うようになってもうすぐ三か月。今の感想は「つくづく、視点なんだなあ」というところにいる。

これはコップに半分水が入っているのを見て「もう半分しかない」という視点もあれば「まだ半分もある」という視点もあるように、同じものを見ても捉え方によって生き方はまるで変わるということだ

自分がこれまで立っていた「性=便器に投げ捨てるべき汚らわしい存在」だった視点から、日々向き合う学びを続ける中で「性=自分を支えるエネルギーの一つ」という視点になっていった。
どちらも事実である。しかしコップの水しかり、どちらの視点に立つかで生き方はガラリと変わる。

ある漫画家さんの話によると、漫画家という職業はテレビ業界とアニメ業界では、全く違う見方をされるそうだ。

テレビ業界の中で漫画家は「何も知らない人たちだから、自分たちがもっとよい作品にしてあげなきゃ」という見下した視点から見られることが多いらしい。そのせいだろうか、漫画の原作がドラマ化された場合、かなり内容を改変されて見るも無残な作品にされてしまうことが多い。

一方アニメ業界では「漫画の原作者は神!」という強いリスペクトの眼差しで見られることがほとんど。

日本の漫画原作のドラマとアニメ、どちらが盛り上がっているか。あるいは名作と呼ばれるような作品はどちらの方が多いかを考えれば、この視点の立ち位置一つがどれほどの影響を及ぼすのかは一目瞭然だと思う。

原作者を「無知でかわいそうな人」と見るか「神様のような人」と見るかで作品のクオリティが大きく変わるように、性を「汚いもの」と見るか「自分を支えてくれるもの」と見るかでも、人生は大きく変わる。

ここで私が言いたいのは、ネガティブな視点を捨ててポジティブな視点になれということではない。ネガティブな視点に立たざるを得なかった心の痛みこそ、その人の真実であるということだ。

誰が自分から好き好んで、自分のエネルギーを汚いと思う人がいるだろうか。汚いものという視点を選択せざるをえなかった人の背景には、深い敬意を払わねばならない。

何年も前の切り傷が今はもううっすらとしか線にしか見えないように、傷はやがて塞がる。同じように精神の痛みは適切なケアを受け、時薬を得て徐々に和らいでいく。そうして心の海に凪が訪れて初めて、本当に自分の存在が汚かったのかどうかを見届けて、判断することができる。

人生は思い込みとよく言うが、他人がどう言おうとも、自分が自分らしく命が喜ぶ視点を積極的に採用するようにしていきたい。







今日もお疲れ様です。
こちらのエッセイもぜひご覧ください。

文章講座は10月よりスタートします。(休日クラスの日程を変更させて頂きました)

週末は都知事選がありましたね。
政治思想のことを右翼とか左翼とか呼んだりしますが「片方の翼だけでは、鳥は空を飛べない」という言葉が好きです。

明日も適当にしっかり参りましょう〜〜


最後までお読みくださり、ありがとうございます。 サポートして頂いたお金は取材や書籍など、記事執筆のために大切に使わさせて頂きます。