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スーパーで買った氷から見えた「本当の贅沢」

108円の水を買うのに強烈な抵抗があり、水筒を欠かさないくらいにはケチ・・ではなく節約家である。

日常でも、ランチ代1100円を惜しんで弁当を持参するなど、あまり消費をしないようにしている。学びたい講座には何十万も払うが、熱中症になってもバス代250円を払うのに抵抗があり歩いて帰る人生を送っていた。

どんな人にもお金に対する思い込みは多かれ少なかれあると言われているが、私の中には「自分には贅沢は許されない」そんな思い込みがあった。

だが先日友人宅に遊びに行った時のことだ。

冷えたアイスコーヒーをご馳走になったのだが、それがやたら美味しかった。
友人に「これどこのアイスコーヒー?」と聞くと、我が家でも飲んでいる1リットル98円ペットボトルで売ってるものと同じだった。

なぜこんなに味が違うのだろう、とアイスコーヒーが入ったグラスを持ち上げてみる。コロンと氷が揺れる、うつくしい夏の音がした。私はグラスを仰ぎながら「そうか」とつぶやく。
味の決め手は氷だったようだ。

実家では冷蔵庫に備えついている製氷機の氷、アパートでは水道水を自分で凍らせた氷を使用していた。
だが友人は家で夏にドリンクを飲むときはスーパーで買ってきた氷を入れるらしい。味が途端にお店っぽくなるということで、実際かなり美味しかった。

作家・森鴎外の娘の森茉莉さんは自身のエッセイで「高価なもの=贅沢なものではない」と言っている。
罪悪感を持ちつつお金を使うのは贅沢ではなく、身の丈に合わない消費であると言い切り、真の贅沢とは心持ちが豊かであること、と述べている。

森茉莉さん曰く「贅沢」というのは、以下のようなことを指すらしい。

「安い新鮮な花をたくさん活けて楽しんでいる少女」
「中身の心持が贅沢で、月給の中で悠々と買った木綿の洋服(着替え用に二三枚買う)を着ているお嬢さん」
「上等の清酒を入れて山盛りの野菜を煮る」

森茉莉「貧乏サヴァラン」より

現代で言えば、安価に手に入る花を部屋のあちこちに飾ったり、毎シーズンユニクロで新しいTシャツやパンツを揃えてみたり、調味料に凝ってみたりする、という感じだろうか。
茉莉さんならきっと「夏に家で飲むドリンクに、ちょっといい氷を浮かべる」も賛成してくれる気がする。

泣いても笑っても、生活は続いていく。
ならば毎日のことが豊かになるように、質素であっても生活を楽しもうと心がけるのは本当の贅沢という気がする。

友人宅に行った帰り道にそんなことを思い出して、カルディに寄ってみた。

パックに入ったアイスコーヒーとアイスティーを2つ購入。
さらに最寄駅そばのスーパーで、ちゃんとした氷もゲットした。夏の夕暮れ時に、そこそこの重さの飲み物と氷を持って帰路に着く私の身体には汗が噴き出していた。

玄関の扉を開けて、台所の冷蔵庫と冷凍庫に戦利品を並べる。
身体は汗だらけでワンピースはじっとりしていたけれど、冷蔵庫に並ぶドリンクたちを見る私の心は、いつもより少し豊かだった。


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