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書くことがない時は、心の針が揺れる瞬間を意識する

「文章を書いてみたいけど、書くことがない」というお悩みをお聞きしました。

文章は大きく3つに分類されます。まず自分の考えを書くコラム、自分の体験を書くエッセイ、そしてフィクションを基にした小説です。

ここ最近、ネットで読まれる文章のおよそ9割が自分の体験に対して考えたことを書く、コラムとエッセイを合体させたような文体のもの(以下、コラムエッセイと呼びます)です。
今回のnoteではコラムエッセイを書きたいのに、書くことがない時どうするかについて書いていきます。私の手の内を明かして(?)いきますよ~。

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ある人は文章のことを「事象と心象が交わるところに生まれるもの」と定義していました。
何かが起きて(事象)、それについて感じたことや考えたこと(心象)を書き言葉にしていくということです。

多くの人が「書くことがない」と悩んでいる時というのは、わざわざ文章にするほど面白いビックイベントも、感情を大きく揺さぶられたことも最近ないなあ、という時のように思います。

私もこの「書くことがない」という悩みが常にあります。
「書きたいことがいつも溢れて困ったなあ、今日も気づけば1万字も書いてたよハハハ!」なんて人はこの世にいません。村上春樹しかいません。

ではどうするかというと、日常の中で少しでも自分の心が揺さぶられた瞬間を逃さずキャッチしにいく、それに尽きる気がします。

私のある文章の先生が「まずはこんなテーマで書いてみそ」とリストアップしたものがあるので、見てみましょう。

・youtubeでいつもは飛ばすのに最後まで見てしまったCMがあった

・お客さんの前で、すごく店員をしかっている店長がいた

・ものすごく気になる商品名のおにぎりがあった

どれも日常にありふれたシーンばかり。ポイントは「こんなことで書いていいの?」という一見思うようなもの、というところです。

心の針が多少でも揺れた瞬間と言うのは、自分の大切にしているものが揺れた瞬間でもあります。日常の中で心に残った事象を何でもいいから一つピックアップしてみると、自分の価値観について大なり小なりつながっていることがわかります。

例えばこの記事

「youtubeを見ていて思わずメモった言葉」という、そこだけ切り取ったら地味めな事象を切り口にしています。しかし後半は「文章も料理も、毎日続けることが大事」という心象にたどり着く構成になっています。

もう一つ、この記事

「ラーメン屋に入ったら、食後にビールを持ってきた店員さんがいた」という、これまたしょーもない事象なのですが、そこから「自分にとって当たり前のことでも、他者と言葉にしてコミュニケーションする大切さについて」という心象と組み合わせて書いています。

この手法は、日常で起こることに対してかなり意識的になっている必要があります。心で感じたことを無視してとにかく頑張るタイプの方には難しいかもしれません。

しかし目に映る全てのことにはメッセージがあり、何かの意味があるという視点に立つと、少しずつ「あっ今自分はすごく驚いている。なんでだろう」とか「今自分はとてもうれしい。きっと私の~という価値観が大事にされたからな気がする」など、心の動きに敏感になって行きます。

何を書いたらいいかわからない。そんな方は、まず日常の中で少しでも自分の気持ちが動いた瞬間を逃がさず、メモすることをおすすめします。目の前を優雅に泳ぐ事象も心象も、あっという間に、目の前から去って行ってしまうので、私はいつもスマホのLINEメモを使ってます。

あなただけに見えた魚の尾を掴まえるように、心の動きを追い捉える。

うまく言葉にできるかどうか、その文章のテーマや事象が面白いかは、考える必要はありません。
変にこねくりまわさなくていいから、世界で唯一、あなただけが捉えた光を見せてほしいし、それを見たいと待っている人はご自身が思うよりたくさんいらっしゃるはずです。

一見すると地味な事象や心象に光を当てて、この世界にもっともっと人の個性が表現されたらいいなあと願っています。