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空の青と海の青、それは全く違う青

小学校の作文の時間では「自分の感じたことを書きましょう」と習う。そしてみんなが「今日こんなことがあって、とっても楽しかったです」「〇〇先生に叱られて、とっても悲しかったです」と、自分の感情を書く。
しかしプロの作家たちは、感情をそのまま書かないそうだ。


例えば「僕は母に理不尽に叱られて、悲しかった」という文章は
「僕は母に理不尽に叱られて、思わず石を蹴飛ばした」と、そのときとっさに取った行動に置き換えて書いたりする。

あるいは「とても寒い」を「気温計をみるとマイナス5度を示していた」と数字で表したり、
「とっても嬉しかった」を「思わず頬が緩んだ」と体感覚で表したりする。

プルチックの「感情の輪」という図をご存知だろうか。


研修などでよく使われるので、もしかしたら見たことのある人もいるかもしれない。

心理学者・プルチックによると、人の感情はベースは8種類に分けられるが、細かく見ていくと1000~2000種類にも分類できるという。

幸せの真っ際中にあるはずなのにふと感じる不安や、悲しみの中でなぜか安らぎのようなものを感じるのは、合理的に説明できない、人の不思議そのものだ。


感じたことを「嬉しかった」「悲しかった」と表現するのは、とても楽だったりする。
花の絵を正確に描こうとすると大変だが、🌷のように記号化されたものはすぐ書けるように、すぐその場で自分の感情を表さなければいけない時、そうした言葉はとても便利だ。


しかし悲しかったことをそのまま「悲しかった」と文章に書くことを、作家たちの間では逃げと呼ぶ。
もしかしたらそれは空の青と海の青を「青」と一括りに捉えるくらい、乱暴なことなのかもしれない。

桜木紫乃さんが描いた「砂上」という小説に登場する、言葉の鬼のような編集者が主人公の作家に「葛藤とか屈折とか、どうか綺麗な熟語に逃げることのなきよう」と釘を刺すシーンがある。
熟語やすでに誰かが書いた言葉は、口当たりが良くて便利だ。しかし熟語をそのまま使うことは、作家たちにとってインスタント食品をそのまま客に出す料理人がすることと同じなのである。

最近は誰でもwebサイトを作れるようになったが、そこに載せる言葉を書こうとすると手が止まってしまう人は多いらしい。

例えばコーチとして独立するのでwebサイトを出そうとするなら、自分にとってのコーチングとは何か、言語化する作業が待っている。しかし多くの人がここで手が止まってしまうそうだ。

同業者のwebサイトからコピペして貼り付けたりする人もいるらしいが、webサイトを作成するときは切り抜けられても、その先もずっと誰かの言葉を借り続けなければいけないことを考えると、持続可能性が低い気がする。自分の想いを言語化せずして自分の名前で仕事をしていくのは、きっと両立はできない。

誰もが発信できる時代だからこそ、誰かの言葉を借りてきた人と、難産の末に自分の想いを言葉に生み出せた人。そこに大きな差が生まれてしまうのかもしれない。







言語化をもう少し鍛えてみたいという人はこちらの教室へどうぞ。

https://note.com/obac10732050/n/n558f24d8ac52