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丁寧な暮らしが出来ないのは、性格のせいではなかった

何年か前に友人たちと鎌倉の森に遊びに行った際、コーヒーを豆から淹れてもらって飲んだことがある。

コーヒー豆を粉にする機械のミルも最近は小さくて軽いものが売っていて、友人は持ってきてくれたのだった。
キャンプ用のコンロでお湯を沸かし、1人分ずつ丁寧に淹れてもらった。元々コーヒーは好きだったが、森の中で飲む淹れたては格別の味だった。

友人は「淹れる直前に挽いた豆が一番美味しいよ。そりゃあ5分くらい多くかかるけど、その5分を待てるような人生をおくりたいよね」と話していて、大自然の中で味わう淹れたてコーヒーの美味しさも相まって、単純な私はすぐにコーヒーミル一式をamazonでお迎えした。

季節が秋~春は淹れたてコーヒーも楽しかったのだが、暑すぎる夏はどうも冷えたアイスコーヒーの方が美味しかったり、秋になって使ったドリップコーヒーが便利だったり、コーヒーミル一式はすっかり埃を被ってしまっていた。

コーヒーとは関係ないが、鉄分補給にいいと聞いて買った鉄瓶でのお白湯作りも、最近ずっとやっていない。
やはり自分には丁寧な暮らしは向いていないようだ。

・・と思っていたのだが、先日ふとご飯の土鍋炊きは1年と半年ほど続いていることに気づいた。

お米を軽く2回ほどすすいで、1時間浸水。うちのアパートはプロパンで火力が強いため土鍋で10分もすればもう炊き上がる。15分くらい蒸らしておけば出来上がり。

電気釜では1合程度でも炊くのに45分くらいかかるので電気代の節約にもなるし、そもそも土鍋ご飯は美味しい。土鍋にご飯はこびりつくが自分は洗い物が好きなこともあり、ストレスなく気軽に続けた。

考えてみれば私のコーヒーミルは木で出来てるので中々洗えないところがストレスだった。鉄瓶でのお白湯作りも、使った後に乾燥させるのがいつまで火にかければいいかイマイチわからず億劫だった。
こう考えると私は「丁寧な暮らし」が苦手だったのではなく「洗い物以外の後片付け」がストレスのようだ。

「苦手なもの」について、意識を向けるのが苦手だ。
自分の弱みやダメなところはできれば見たくない。しかし一度向き合ってみると、その物事が苦手だったというより、そのプロセスの中の一つが苦手ということが多い。

私の友人は掃除が苦手らしいのだが、よくよく聞くと掃除自体は苦手ではないが、どこから手をつけるか、そのプロセスを考えるのが苦手らしい。だから誰かに指示してもらってする会社の大掃除などは全く苦にならないそうだ。

私たちは何か一つできない事があると、それ丸ごとできないと思い込みやすい。
おそらく過去つまづいた記憶が未来のイメージを邪魔しているのだと思うが、一つずつその工程を分解してみると、それ自体ができないわけではないのだ。

鉄瓶でお白湯を沸かしたり、コーヒーは豆から丁寧に淹れたり、重曹で掃除をしたり、調味料をガラス瓶で保存したり、リネンの服やエプロンを着たり・・
そうした「丁寧な暮らし」に憧れるけど続かないという方も、きっとその工程を分けて考えればできることは見えてくるはずだ。

丁寧な暮らしをテーマに動画を撮っている人を暮らし系youtuberというらしいが、密かに「暮らし系noter」を狙っている私であった。






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