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人生はまとめられるほど、小さいものではない

ライターになる前、ボディワーカーをしていた。

整体・足つぼ・骨盤調整・アロマトリートメント。一通りやる中で、私は内臓マッサージの施術が好きだった。


特に女性のお客様からはPMSが改善されたと言って頂くことが多く、そうしたお声を頂くのがうれしくて、ついにはその専門スクールの門をたたいた。
しかし、そのスクールに通う生徒さんは、あまり好きではなかった。

そこの生徒さんはいわゆるスピ系な人が多く
「子宮の声を聴こう♡」「愛されるとオンナの身体は最強×最幸!!」
などとシラフでおっしゃる人たちで、なんだかついていけなかったのだ。

あるとき、そこの知り合いの生徒さんがfacebookで、不妊のため通っていた自分のクライアントが妊娠したことを「大成功!!」というタイトルで投稿し、それに何百ものイイねがついているのを見て、なんだか吐き気がした。
妊娠=成功・幸せ、不妊=失敗・不幸、という彼女の単純な図式に、思わずめまいがして、スマホを布団に投げつけた。


文章の世界では「結末をきれいにまとめない、できればある場面で唐突に終わるのが望ましい」というルールがある。
最近のブロガーさんはまとめや結論を用意しているものも多い。noteを見ていると、わざわざその項目を追加して書いている人も多く見受けられる。

しかし作家たちに共通してあるのは「人生は風呂敷と違って、まとめられるほど小さいものではない」という意識らしい。
文章をまとめたり結論を用意しないことで、文章の中に余白が生まれる。

「10年、100年を超えて残る作品の条件は、文章に余白があること」

と作家の小川洋子さんも講演でおっしゃっていたが、愛される作品には熱心にさまざまな考察をするファンがついている。それは作家が潔く作品をまとめなかったことで生まれる余白の効果に他ならないと、私は思う。

文章の意味は書き手が押し付けるものではない。意味は、読者が見出すもの。そして意味を見出す力を持っている、と書き手が信じることで名作は生まれるのだと思う。

決して自分は人を成功と失敗で区別する人間にはなるまいぞ、と自戒し、布団に落ちたスマホを握り直した。

最後までお読みくださり、ありがとうございます。書き続けます。