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生きづらさからの脱却



私にとっての若い人は40代も含む。
20代、30代、40代。
みんなまだまだ若い。
そういう若い人達が、生きることに苦しんで疲れているのを見ると胸が詰まる。
エネルギーのベクトルの方向が変わらないかな…と心から思う。

我が子達に年齢が近いからかもしれないが、先を行く私達世代の責任のようにも思うし、私自身が40代、50代の間、苦しんだことも関係していると思う。
もっと早く気づけば良かったと思っているからだ。




10年程前、男子大学生に茶道を教えていた時、『一年でいいからバブル経済を体験してみたい』と言った子がいた。
彼は今30歳過ぎだと思うが、生まれてからずっと景気のいい社会を知らないのだ。

そのせいかどうかはわからないし、きっと他の要因もあるだろうけど、あの頃教えていた大学生達は総じて大人しかった。
皆、堅実に生きていく為に何をするかを考えているようだった。

未来もそうだが、今、堅実に生きる事に精一杯向き合っていた。
決められた枠からはみ出さないように、落ちないように、いろんな方面に気遣いながら、日々を送っているように見えた。
そうしないと生きていけない現実があるのだろうけれど、そこに、自由で大らかで伸びやかで大胆な空気は感じられなかった。
その積み重ねで、そんな空気しか吸ったことがないのなら、それは苦しくなるだろう。



その生徒達に言ったことがある。
もっと自由に茶道しよう!
彼らは、いいんですかー?
と理解できない風だった。

世間の茶道に対するイメージは、型を覚え、順番を覚え、ルールを覚える事で美しい所作や教養が身につくと思われているように思う。
少なくとも、私が教授した人達は皆そう思っていたと思う。
疑いようもなくそういう物で、そこに価値がある、と思い込んでいたようだった。


そういう側面もあるかもしれないが、私は型や順番やルールは壊す為に覚えると思っている。
何も知らずに自由を掲げるのは、ただの引っ掻き回しだけど、基本を身につけた上で型を変えるのは美しい。
それは工夫だったり趣向だったり思いやりだったりするからだ。
そこに初めて深呼吸に値する空気ができ、自由な自分が出来上がると思っている。
そして楽しさや笑顔や愛もついてくるかもしれない。


茶道と生き方がリンクするかどうかはわからないけれど、吸収したものを壊す、それができたら生き辛さも少しは楽になれるのではないだろうか?

毒親とかHSPとか発達障害とかいじめとかも、知ることで、安堵したり癒やされたり勇気が出ることもある。
だから、いっぱい知って、しっかり理解して学んだら壊してみたらどうだろう。
だから何? と壊してみよう。
それが私ですけど何か?
と思えたら、空気が良くなって呼吸が楽になって、いろいろ楽になれそうに思う。

ここまできてやっと気付いたように思うし、皆が皆できる訳でもないだろうし、全く見当違いかもしれない。
でもまず、私がそうしてみよう。


若い人達が、いい空気の中でいいエネルギーを使って欲しい。
心から思う。





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