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親の介護と看取りをするということ

こんばんは!
こんにちは!
おはようございます!



最近息子が可愛くて仕方がない
FUNmacy&医療介護のオアゾグループ代表のこじゆきです。


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育児の大変さの中でいつも思い出す事


現在息子は7か月
夜は良く寝てくれるものの
毎日毎日、できる事が増え、力が増し
体重もぐんぐん増え10キロ越えに・・・
どんどん子供怪獣化しています。

仕事もしながら子育て、となると
決して楽なものではないけれど
日々進化する息子の成長を見守る事は
幸せ以外何者でもないですね。


子育てをしながらいつも想う事。
それは、過去直面した母の介護だったりします。


すごく幸せなんだけど、
なぜかいつも頭に浮かぶのは母の顔。

孫の顔を見せてあげたかったという気持ちも
もちろんあるけれど、
それともちょっと違う気がして。

少しこの気持ちに向き合ってみました。


19歳で向き合った母の病と介護


ひとり親で一人っ子、
かつ親戚も近くにいなかった私にとって
母親の存在が家族の全てでした。

そんな母が乳がんで倒れたのが私が19歳の時。

私は母の闘病を支えるために大学を中退。
飲食業界へ飛び込み、
闘病を支えながら必死に働きました。


最終的に、身動きが取れなくなり
私が21歳の時に母は亡くなりました。


介護をいくら頑張っても“良く”はならなかった


いちばん感じていることは、
育児は大変だけどどんどん成長したり
できる事が増えていく喜びがあるなという事。

来月はきっとこんな事ができるようになるね。

来年は、一緒に動物園へ行けるね。


対して、介護では真逆。

できる事が、日々、ひとつずつ減っていく。


トイレにひとりで行けなくなる。
お風呂にひとりで入れなくなる。
着替えが一人でできなくなる。


そして、
リミットがどんどん近づいてくる。

来年の今頃のことなんて予想もつかない。


そんな毎日。


親の介護は自分のアイデンティティを揺さぶる時間


そして親の介護を支えるという事は、
自分のアイデンティティを
激しく揺さぶられる時間でもありました。

自分を生み育ててくれた母が
どんどん弱っていく事に

当たり前だった
「強くて、かっこいい母」が変わっていく姿を
当時20歳だった私は
一人で受け止めきれずにいました。

変わり果てていく母の姿を見て
一緒に外も歩きたくない。
なんていう心無い言葉も言ってしまった事を
私は後悔しています。

最期の時間を、
母の幸せを第一に考えてあげられなかった事

何も受け入れられずに
私自身もつぶれてしまったこと

一生の後悔です。

家族が背負う重い十字架


母との最期の時間を
母に寄り添って過ごせなかった事

母自身が納得した最期を
迎えられなかった事

医療介護サービスを思うように受けられず
不自由な思いをたくさんした母。

「こんな人生のはずじゃなかった」


ふと漏らしたこの言葉が
私にとって重い十字架となっています。

この十字架は
一生背負っていくんだと思います。

誰もが、
家族や大切な人を介護したり看取ったりする時
その人が後悔の言葉を多く残すことになってしまうと
その言葉は一生その人たちにのしかかる。

私自身がそれを体感しています。

だからこそ、

ベストでなくとも“ベター”な選択肢を患者さんが選べる医療介護の体制

が必要だなと感じてます。


だからこそ、FUNmacyとして

「選択できる人生」

に重きを置いています。

まだまだこれからの会社だけど
ひとつでも多くの選択肢を創造する企業でありたい。

そんな想いの塊です。


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