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モジュッドとヴィッキーさんの生き方 〜ハートで生きるということ『LIVING ENERGIES⑨』


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江谷信壽

マインドで生きるということは説明できるのですが、 ハートで生きるということを説明するのはとても難しいことです。

マインドで生きる人生とは、人生設計をきちんとして、 損得勘定もしっかりできていて、世間にも認められ、成功し、尊敬される生き方でもあるので、誰にでも説明できて理解しやすいのですが、ハートで生きるというとそうはい きません。  

ハートで生きる人は予測不可能ですし、世間的にも理 解不可能で、他の人の目からは成功しているようには見えないかもしれませんが、ひとつ言えることは、その人は幸せで充足し、満足した人生を生きている、ということです。

ひとことで言えば、マインドで生きる生き方は世間の人々の声にしたがって生きる生き方のことで、ハートで生きる生き方は、自分自身の声にしたがって生きる生き方ともいえます。  

なぜなら、マインドは両親や教師や社会の声によって形成され、ハートは真の自分自身の内なる声を聞く場所でもあるからです。 マインドで生きる生き方は疑い、注意深く生きる生き方であり、ハートで生きる生き方は存在に「イエス」と言うことのアート、信頼することのアートを生きる生き方ともいえます。  

オーラソーマふうに言えば、流れとともに生きる、レットゴーの生き方です。 ここでは、仮にハートで生きる人生に対比する意味で、 マインドで生きる人生という言い方をしていますが、それは単に生き方の二つのタイプをわかりやすく説明するためのもので、どちらが良いとか悪いという意味ではないことを、あらかじめお断りしておきます。

 

では、ハートで生きる人生というのは、どのような人生なのでしょうか?

ここに、そのハートで生きる人生について書かれた、すばらしい物語があります。 「モジュッド─説明できない生を生きた人」というスーフィーの物語です。

スーフィーとはイスラム教の神秘主義で、 スーフィーの マスターには、愛の詩人として有名なルーミーがいます。 ルーミーはハートの人として知られ、ここで物語られるスー フィーのモジュッドとは、「内なるハートの声を聞く人」、「ハートで生きる人」を意味しています。
 

この「モジュッド」 の本は、インドの神秘家であるOSHOが、その物語を題材に語ったひとつの講話が、絵本のような美しい絵とともに1冊の本にまとめられたものです。  


この話を注意深く読むことで、ハートとはなにか、ハートの生を生きるとはどういうことなのかがよく理解できます。 しかし、この物語は危険な物語でもあります。
 

なぜなら、このハートの人生を知ってしまったら、あなたはもうマインドの人生へと後戻りができなくなってしまうかもしれないからです。 これまでとはまったく違った、予想もできない人生を送ることになってしまうかもしれません。  

それでは、この「モジュッド」のお話しに、OSHOとともに入っていきましょう。



あるとき、モジュッドという名の男がいた。
彼はある町に住み、そこで小役人としての地位を得てい たが市場監督官としての生涯を終えるものと思われてい た。  

ある日のこと自宅のそばにある古代の建物の庭を歩いていた彼のもとにヒドゥル、スーフィーの神秘的なガイドが緑色の光をかすかに放つ衣装をまとって現れた。  

ヒドゥルは言った。  

「前途有望なるものよ! 仕事は放り出して三日のうちに私に会いに海岸に来るが いい」  

そして彼は消えた。


「モジュッド」という名前には、二つの意味があるとOSHO は言います。  ひとつは「醒めているもの」「意識しているもの」という意味があり、もうひとつは「現在を生きるもの」「現在に在るもの」という意味です。

それは瞑想をしていた人に間違いなく、瞑想という行為のなかからひとりの観照者が現れ、その観察する者が徐々に彼のなかに現存を作りだし、彼は光を放つ現存になった。だから、彼はモジュッドと呼ばれているというのです。

ヒドゥルとは、ひとつの名前、あなたの内奥にある中核を表す名詞です。

 
あなたの中心が、あなたの周辺、表層の意識に向けて、 物事をささやきはじめるとき、それがヒドゥルと呼ばれます。 つまり、本質的な魂が非本質的なものと話すとき、ヒドゥルがあなたに話しかけているのです。
 

つまり、瞑想者であるモジュッドになると、内なるガイドがあなたに話しかけはじめる瞬間がやってくる。その内なるガイドが、ヒドゥルなのです。

オーラソーマで、ヴィッキーさんが「内なるガイドに耳を傾けなさい」と言うとき、「あなたの内なるガイド、ヒドゥルの声を聞きなさい」という意味にもなります。
 

そして、モジュッドが市場監督官であったということは、 いわゆるマインドでの人生を生きていたことを意味し、そのモジュッドがヒドゥルの声を聞くことによって、マインドで生きる人生からハートの生を生きる者へと変容を遂げていったのです。


モジュッドは、動揺したまま上役に会いにいき
去らねばならない旨を告げた。  

町の人はみな、すぐにこのことを聞きつけて言った。

「かわいそうなモジュッド! あいつは狂ってしまっ た!」  

だが、彼の仕事の後を継ぎたいと申し出た人たちが たくさんいたために彼らは彼のことなどすぐに忘れてしまった。  

約束の日に、モジュッドはヒドゥルに会った。
すると、ヒドゥルが彼に言った。

「着ているものを脱ぎ、流れに身を投じるがいい。 おそらく誰かがおまえを助けてくれるだろう」

モジュッドは、自分でも狂っているのではないかといぶかりながらも、その通りにした。



中心が内なる声が、あなたに話しかけるとき、いつでも動揺が起こります。


それは今まで思いもよらなかったことで、また、自分になにが起こっているのかがわからず、自分は狂ってしまっ たのではないかと思われるからです。 なぜなら、今までは外側からやってくる声、両親や教師や聖職者の声というような、マインドの声しか知らなかったからです。

中心があなたに話しかけてくるとき、マインドは動揺し、 混乱してしまいます。 今まで確立していたと思い込んでいたことが揺らぎ、安全だと思っていたものが安全ではなくなり、今まで意味があると思っていたもののすべての意味が失われてしまうからです。  

あらゆることが、あべこべになってしまうのです。
ちょうどタロットでいう「吊された人」のようです。  

しかしヒドゥルが、あなたの内なるガイドが現れて、あなたに「さあ、こうしなさい!」と言ったとしたら、あなたは自分自身に逆らってでも、自分は狂っているのではないかと思いながらも、そうせざるを得なくなってしまうのです。  

そうして世間からも後ろ指を指され、言われてしまうのです。 「あいつは正気ではない、狂っている 、なぜ、瞑想するのか、静かに坐って、なにもしないなんて、時間の無駄にすぎない。  それでは人生の敗者になってしまう」と。  

しかし、市場監督官としての人生に魅力を感じなくなり、 不死なるもの、未知なるものを知りたいと思ったとき、人は危険を冒すしかなくなるのです。 なぜなら、そのまま人生を終えることに意味が見いだせなくなれば、新しい未知なる可能性を求めて、その危険に賭けるしかないからです。  

ハートの生を生きることは、ある意味とても危険な生き方です。 マインドで生きる道は安全で保守的な生き方ですが、ハートで生きることはマインドでは理解されない生き方であり、勇気が試されます。 それは、まさに未知なる神秘を生きる生き方だからです。


オーラソーマの創始者であるヴィッキーさんの生き方は、 まさにハートの生を生きたといえるのではないでしょうか?

ヴィッキーさんは瞑想のなかでオーラソーマを受け取りました。 ヴィッキーさんが瞑想をしていてオーラソーマを受け取っ たのは、ちょうどモジュドがヒドゥルの声を聞いたことと同じであり、ヴィッキーさんはその瞑想のなかでヒドゥルの声としてオーラソーマを受け取ったのです。  

ヴィッキーさんは、受け取ったものがなにかわかりませんでした。 でも、戸惑いながらも、その声にしたがわざるを得なかったのです。  

オーラソーマを学ぶ人は、瞑想とともにオーラソーマを 受け取ります。 モジュッドのように瞑想のなかでヒドゥルの声、内なる声 に耳を傾け、オーラソーマを受け取るのです。  

そのとき、あなたはヒドゥルの声にしたがい、着ている ものを脱ぎ、流れに身を投じるハートの生を生きるのでしょうか?

それともマインドの声とともにいて、市場監督官としての 人生を終えるのでしょうか?  

オーラソーマを学ぶということは、自分の魂の声に耳を 傾け、ハートの生を生きるための学びでもあるのです。


江谷信壽

プロフィール: 株式会社 和尚アートユニティ 代表
連絡先: 和尚アートユニティ
http://aura-soma.jp/
Email:info@artunity.co


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