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【マガジン・エイトデイ】もらったプレゼントを返品交換しに来るという衝撃。

2024/01/18

昔の販売員の頃の話。
今はレシートがないと受け付けて
いないと思うけれど、それより昔の話。

包装紙がうちのモノで
購買履歴が辿れた場合は受けていた。
(未使用に限る)

私は、おめかししたその子が
チェンジ!と
言われて帰ってきたことが
悲しくて、どうも腑に落ちないで
モヤモヤしてるのかと思いきや、
気づいてしまった。

「私の売ってるもののほとんどが
誰かにはゴミになっている。」
モヤモヤの由来はここだった。

価値を提供していると
思っていたので愕然とした。

その時の仕事が
急に空っぽに感じた。

そこからゴミにフォーカスした
数年はとても過敏であった。
とても自分に厳しい時間だったと思う。

究極、私が生きることで
大量のゴミを生み出していて
1番ゴミを出さない方法は
私が消えていなくなることだと
結論が出た。

なんだそれ。陰の極み。
本末転倒じゃないか。

できる限りゴミを出さずとも
それでも出るでしょう。
地球にご迷惑かけながらも
生きるしかない。
あれこれ気にして
小さく小さくなった気持ちが
ぶわんと広がる瞬間。

私はゴミについてのあれこれを
あきらめた。

そんな私を生かしてるなにかが
あるんだししょうがない。
私は生きるまでだ。

食べるものも
身につけるものも
暮らしという環境を
こだわり抜いて
これでないといけない。
という枠が外れた私は

「ゆっくりくつろぐ」
というフォーカスに変わった。


ジャンクがくれる
ワクワクエネルギーも頂く。
また、滋味深いエネルギーに
幾度も救われる。

とりあえずの
コンビニおにぎりも
お手製のおにぎりも
大好きだ。

朝のお白湯もありがたいので
しみじみ頂くし
コーヒーの刺激も癒しも頂く。


そうか。
あれが身体にいいとか
これはダメとか
そのジャッジする
エネルギーを頂く方が
私の身体には
しっくりこないのね。

あの時の私は、
自分の価値観の棚に
情報(しかも流行りの)を
置いて安心していたんだな。
(思考停止もいいところだ。)
どうりでしっくりこないわけだ。

まあでも。
その情報を集めまくって
こだわりまくった
おかげで、自分が本当に
好きなモノとはどういうものか
輪郭が生まれた。

選りすぐりのモノたちと
暮らしているし、今は
これ以上、探す必要がないので
本当に安心する場所を作ったのだから。
感謝しかない。
ビバ!過去の私。

そして今は
こだわり続けることより
こだわった私の恩恵を受け
今の自分にフィットしているか
確認をして丁寧に扱う。

探すという時間から離れて
次のやることに時間を配る。

「せめて私が本当にオススメできる
モノたちだけを販売したい。」

そう感じたあの時の私の感覚が
納得して、フィットしているか
確認しながら仕事をしている。

そしてゴミにするかどうかの判断は
受け手の価値観であると
区切ることができた。

あの時とは違い
新しく循環する感覚も生まれた。

ゴミに罪悪感を感じるよりも
時に反省する案件となった。

あの時
チェンジと言われた商品を
たまにお店で見かける。
20年経っても
作られているということは
価値があるということ。
メーカーでもないのに
私がなんだか誇らしい。
(雑貨で何十年も作り続けられることは極稀だ)

プレゼントを交換しに来る感覚は
ゴミを出さないとはいえ、
自己都合が過ぎるし
今のところやっぱりどう考えても
無粋だから、鼻つまみぷーん。

無粋については、またの機会に。

では、また。


果歩


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