第4感 枷となれ

 毎日友達に文章を送り、映画を見て、インスタのストーリー更新を絶やさない。
毎週noteを二本書き、ラジオと動画を一本ずつ、そしてショート動画を三本上げる。
これが今の習慣だ。
売れないお笑い芸人の僕にとって、この一つ一つが何かのきっかけになるかもしれないと、とりあえずは自分ができることを継続している。

 と、ここまで読んでみると、なんか結構頑張ってるように見えるが、実際のところは週2,3日しか働いてない残念人間なので、これはそんなに大したことじゃない。
 しかし逆にこうも思う。週2,3日しか働きたくない、まともに労働に従事できない人間なのによくこれらの習慣だけはこなせてるなあ、と。
 そこで少し冷静に考えてみた。思うに、理由は大きく分けて二つあると思う。

 まず一つ目が、「精神安定剤になっている」という点。
 結局、社会の歯車はおろか、その小さな小さな一パーツにすらなっていないのに、その時間を何もせずにただ無為に過ごすのが怖いのである。
 僕は大学3年生の頃からほとんど大学に通わなくなり、結局母親には四年半もの間、学費を納めてもらったのに、中退という選択を取ってしまった。
 ではその間はずっと家に引きこもっていたのか。いいや、そうではない。
この頃の僕は平然と学校まで向かい、部室で授業の合間合間に来る友人や後輩と語らい、そして時間になるとバイトへと向かった。
そう、割と外には出ていたのである。
そしてそんな生活をしていたからこそ気づいたことがある。
引きこもりやニートでいるのは才能である、と。
この頃の僕にはそんな芸当は到底できなかった。それは経済的にというより、精神的にできなかったのである。
やっぱり僕は稀代のビビりである。
そして今もこれは同じ。まあもちろん学生のときと違って自分で食べる分は稼がなければならないわけだが、それでも最早労働をしないという選択を取れないこともない。
でも、僕がその選択を取ることはない。理由はそう、ビビりだから。
しかし、この精神安定剤という言葉には危険な面を秘められている。
それこそが、「やってる感」。
現状一切お金に繋がってもいなければ、今のところその気配すらない。そして、そうなるために死ぬほど努力をしているわけでもない。
それなのに、一向に、「やってる感」だけは感じてしまう。なんと危ないことか。
この点においてはしっかりと考えなければならない。

 そして、僕はこの習慣を続けられているもう一つのポイントにして最大の理由が、タイトルにもある「枷」である。
 よく、「SかMか」という質問がある。この質問がどこまで本質的かとかそういう問題は置いておいて、この質問に対してライトに答えるのであるならば、「Mではない」と答えるようにしている。
 なぜこう答えるかというと、大前提としてMではないからだ。あと、Sという回答をする奴ほど、ただMじゃないだけで滑ってる気がする。
 最後のは愚痴みたいになってしまったが、要はMではないのである。Mではない、Mではないが、自分への「枷」が破れない。
 いやむしろ、自分に「枷」をするというS的なプレイなのかもしれない。
 なんかとてもSだMだの話になってきたが、ただただ自分に課した「枷」を振りほどけないだけである。
 つまり何が言いたいかと言えば、習慣もしっかりと続ければ三日坊主にはならず、それどころかそのうち「枷」となってあなたを苦しめるかもしれない、ということである。
 でも、この「枷」が心地いい。あれ、もしかしたら俺って……


30代になって早三カ月。食べれば食べるほど、飲めば飲むほど太るのに、ちょっとやそっとでは一切痩せない身体になってしまった。
健康体を手に入れるためには、それこそ食事や間食に目を向け、毎日運動せねば。
しかし、これだけの「枷」を自分に課すことができるのに、運動だけはどうにも続かない。
本当に自分を苦しめることは、どうやら向いてないらしい。

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