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発信人としてのありかた

僕が発信する時に勝手に心がけていることを勝手に喋ります。発信人(はっしんびと)としてのありかたです。参考にならないとは思いますが、聞いていってください。

僕は自分の発信が好きです。世界でいちばんおもしろいと思っています。毎回記事を更新するたびに「どうや?おもしろいやろ??」とドヤ顔しています。毎月100万アクセスないのは何かの間違えだと思っています。「世間ってやつは見る目がねぇな」と本気で思っています。

なぜなら、その方が結果としておもしろい記事が書けるからです。「僕は面白い記事なんて書けません」と思っている人は文章を見たらすぐに見ていてわかります。かすりもしないし滑りもしません。きっと先生や親に「謙虚にしなさい」って習ったんですね。

それは会社に入るときのルールであって、創作をするときの立ち回りとしては利口ではありません。創る時は謙虚になっちゃダメです。「世界でいちばん愛してる」と真顔で言い切るから、ラブソングは刺さるんです。

そもそも「おもしろい」も「愛してる」も客観的なものではないので、「世界でいちばんおもしろい」も「地球上の誰よりも愛してる」もぶっちゃけ言ったもん勝ちです。そもそも比べられるものではない。デカい口を叩いた方が結果としておもしろい創作ができるなら、絶対叩いた方がいいんです。

僕は人からお金をもらって話す機会が多いですが、その時も「僕と話す時間がいちばんおもしろいに決まってる」と思ってその場に向かいます。10万円もらったとしたなら、「この人が想像しうるどんな10万円の使い方よりも、この時間に払った方が満足度が高いに決まってる」と思っています。

それも主観でしかないし、そう思った方が結果として満足してもらえるのなら、そう思うに越したことはないからです。

「あなたは自信があるんですね」と言われる事がありますが、それは半分くらい間違っています。自信があるんじゃなくて、プロとして生きていく覚悟があるだけです。

「1%でも成果が大きくなる可能性があるのなら、フリでもいいから自信を持ってくる」と思っていて、僕に実際に自信があるかどうかと言う話ではないんです。自信があるという自分を「決めて」いるんです。

自信もさっきの「おもしろい」「愛してる」と同じで、主観的なものです。「ある」といっても「ない」と言っても、そう言えば他人には確かめようがないもの。あると言った方が得なら、「あることにする」でいいのです。言ったもん勝ちなんだから。

人間というのは単純な生き物で、嘘でも「自信あります!」って言ってれば後から「あるかも…?」「いや、これあるな」みたいな気分になってくるものです。「ない」って言ってるからいつまでもないだけで。どっちだっていいんですよ。

ブログの話に戻りますけれど、ブログだって「僕の書く記事おもしろいでしょ?」って思いながら書けばおもしろい切り口を思いつくし、うまく書けなかった時は「何かの間違いでしょ、次は本来のおもしろさを取り戻すはず」と思うし、そういう姿勢でやってれば自然とおもしろくなっていくもんなんですよ。

初心者であるとか、自信がないとか、スラスラかけないとか、そんなこと本当にどうでもよくて。「どや、おもろいやろ?」って思いながら書いて滑って「あれ、おかしいな…次こそ!」ってやってるうちに、本当におもしろくなるんです。創作ってそうやって力をつけていくものなんです。

生まれた時からブログが書ける赤ちゃんは見た事がないし、どんなに儲けているコーチもブロガーもビギナーの時期があったわけですけど、やっぱり活躍している人は初期の頃から「自分はすごい、わかってねえのはお前らだ」って思って創作をやり続けているからブレイクするんですよね。

僕は「自分はもっとおもしろいからもっとおもしろい記事が書けるはず」と思って創作をやり続けていますが、気づいたらトータルで1100回ほどブログを書いていました。7月だけで50記事以上書いてます。僕は世界でいちばんおもしろいんでね。今はまだ見つかっていないだけです。へへ。

いただいたサポートはミックスナッツになって僕のお腹の脂肪として蓄えられます。