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やっぱり「言葉を生むこと」は一生のテーマだ



娘の出生届を出しに役所へ行きました。


用紙と母子手帳を窓口で提出。僕は国民健康保険なので、一緒に加入の手続きをしてもらう。その後に児童手当の申し込みと、医療費補助制度の申請。


児童手当は中学生になるまでもらえるらしくて、医療費は高校生になるまでほとんど無料(若干の手出しはある)になるそう。


日本すごい。子供に優しい国じゃん。知らなかった。妊娠中の産婦人科への通院もタダでした。


「子供を育てるにはお金がかかる」というイメージが強すぎて、子供を育てるのにどんな制度があってどれだけのサポートを受けられるなんて考えたことがなかった。


そりゃあもちろんどれだけ支援を受けたってかかるお金は0にはならないし、子育てが大変なことには変わりないんだけど。


「僕も娘も豊かな国に生まれたんだなぁ」と感じました。


子育ては本当にチームプレイですね。国も含めた大きなコミュニティでのチームプレイ。


赤ちゃんがいる。赤ちゃんに母乳をあげるママがいる。赤ちゃんの身の回りの世話をする人がいる。


産後ボロボロになったママのケアをする人がいる。栄養のある母乳を作るためにママの健康を管理する人がいる。生活の経済基盤を支える人がいる。


赤ちゃんのおむつやミルクを準備する人がいる。食事を準備する人がいる。医療や補助を支給してくれる人がいる。


たくさんの力が「一つの命を育む」というところに向かって合わさっていく。


僕はこの感覚を他の場所でも感じたことがあります。ライフコーチと一緒に「僕はこれからどうやって生きたらいいだろう」と話をしているときです。


「これだ!」という言葉に出会えたとき、全ての力がその未来に向かってギューン!と集まっていく感覚がする。


子供を生むことと言葉を生むことは、大変さやことの重大さは比べてしまうと失礼なくらい全く違うけど、根本の性質は似ている気がする。


無から何かを生むのはとても大変。でも一度生まれてしまえば、そこに一気に力が集まってくる。自分の考えていることを言葉にできると、言葉にパワーが乗ってくる。


人に説明できるようになるから協力者が現れる。辛い気持ちになった時に、その言葉が作った時の気持ちを思い出させてくれる。


「優秀であること」を良いことだと刷り込まれてきた僕たちは、ついつい「昨日と同じこと」を続けてしまう。


新しいものを生み出すことより、「周りより優れていること」は簡単に達成感を味わえるから。


ついつい「言葉を生むこと」を怠ってしまう。でも今は今しかない。


うちの娘がほわほわの新生児でいてくれる時間はあと3週間もない。ぶっ飛ぶくらいハイになるミルクのあまい匂いも、たくさんの人からもらったお祝いの品や試供品を使い倒す楽しみも、永遠に楽しめるわけではない。


だからこそ「僕は今日を楽しむこと」を忘れないようにしたいと感じました。


そしてどんなに忙しくても、感じたことを言葉にしたい。言葉にして、伝えて、残しておく。そうすることで大きなパワーが集まってくる。


僕はその感覚を知っている。そうだ、あれをやればいいんだ。



そんなことを感じた育児3日目でした。今から晩御飯を作ります。また書きます。また見てね。


あなたはどんな1日でしたか。今日しかできない経験をしましたか。言葉を生みましたか。楽しめましたか?

いただいたサポートはミックスナッツになって僕のお腹の脂肪として蓄えられます。