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コーチよ。もっと嘆くんだ。そうしないと価値は届かないぞ。

「あなたにはコーチングが必要ですよ」と言って回るコーチがいるけれど、コーチングを必要としているのはクライアントよりもコーチの方だと思う。


クライアントがいないとコーチはコーチとして存在することすらできないのだから。


コーチングを提供したいのはコーチの都合。やりたいことをやってお金までよこせというのだから、コーチという職業がなかなか普及しない理由もわからないではない。


そこにどれだけ価値があろうと、知っている者同士の間でしか通じない言葉をコーチたちが使い続ける限り、仕事として成立することはないだろう。


コーチングを必要としているのはコーチの方なのだから、逆に「お金を払うのでコーチングを受けてください」と言った方が自然かもしれない。


商売の原理に当てはめるとそうなってしまう。不要な品を渡すには金銭も一緒に渡すしかない。


コーチングを仕事にするというのは、そのくらい難しいことなのかもしれない。「コーチングできます!クライアントを募集します!」と言うだけでは成り立たない。


たとえコーチングがどれだけ素晴らしいものだったとしても、価値がある者だったとしても、「お金を出しても欲しい!」という人がいなければ、商売としては成り立たないのである。


いったいこの価値ある対話を顧客に伝えるにはどうすればいいのか。コーチの商売はこの問いから始めなければいけない。これが現実なのだ。現実を直視しない商売人に未来はない。


コーチングを求めているのはコーチだけだ。コーチングに価値を感じているのはコーチだけだ。コーチングにお金を払うのはコーチだけだ。


さあどうする。コーチングに価値がないと言っているわけではない。コーチングに市場価値は日本では「まだ」ない。


何の戦略も持たないコーチがコーチとして生きていけるような市場は、残念ながら僕の知る限りでは存在しない。


僕も『何を話してもいい安全な空間での対話』に価値を感じている1人だ。だから必死に考えた。


どうすれば自分の対話が必要な人に届くのか。そもそも必要としてくれる人なんているのか。


考えて、考えて、考えて、今日ここまでやってきた。必死こいて考えたから、今日までコーチとして生きることができた。


関われた人の数は決して多くはない。ただ、深く関わる人と出会うことも、その価値を共有することも、共に喜び合うことも、できた。


できるんだ。僕よりももっと優秀なコーチはごまんといる。考えてくれ。あなたの対話が、必要な人に届くには、どうしたらいいのか。


もっと渇いてくれ。価値があるはずのあなたの対話が誰にも届くことなく、今日もその喉を越えることができなかった声が飲み込まれていくことは、世界の損失じゃないのか。


そこに価値があるんだろう。その価値が伝わってないことを憂いてくれ。「どうしてこんなに価値のあるものが、誰にも見つけられずにくすぶっているんだ」と疑問に思ってくれ。


そんな「価値ある対話」を喉元に秘めたひとりひとりが、安易に答えを求めず、考えて、時には対話の価値が信じられなくなって、それでも信じて考えて考えて、行動して。


そうすればさ、今よりも少しだけ、コーチが生きやすい世界になるんじゃないかな。


「対話を仕事にしています!」って胸を張れる人が増えるんじゃないかな。増えたらいいよね。

いただいたサポートはミックスナッツになって僕のお腹の脂肪として蓄えられます。