見出し画像

「毎日生まれて毎日死ぬ」と考えたら納得のいく人生が送れるのかもしれない

せっかく自分に生まれたのだから、いい人生を送りたいなと考えています。いい人生ってなんでしょうか。僕は『死ぬ時に自分の人生に納得できること』が大事だと思っています。

どうすれば死ぬ時に納得できるのでしょうか。僕はまだ死んだことがないので、死ぬ時のことはわかりません。でも、なんとなく想像はできます。死ぬ時に「いい人生だった」と言える人生はきっと、自分の過ごしてきた時間を肯定できるような人生なのではないかと。お金をいくら持ってるとか、何を成し遂げたとか、誰と友達だったとか、そういうことではきっとないんだろうなと想像はできます。

2年前のちょうど12月、当時飼っていた猫の心臓が急に止まりました。4歳でした。なんの病気もなく、健康で、猫は20歳まで生きるということをなんの疑いもなく信じていた僕は、愛猫の死を受け入れられませんでした。30分前まで膝の上で丸くなっていたひなちゃんが急に飛び上がってそのまま息を引き取りました。命はこんなにあっけなくいなくなってしまうんだな、と思ったことを覚えています。


この写真を撮った1時間後に逝ってしまいました


僕たちは明日がどんな1日になるかすら正確に理解することはできません。なんとなく「今日と同じような1日になるんだろうな」と思ってはいるけれど、そして今まではなんとなく今日と同じような1日になったから今日まで生きているのだろうけど、今日と同じような1日が100%やってくるとは誰にも言い切れないのです。少なくともひなちゃんには12月2日は来ませんでした。

ひなちゃんは幸せだったのかな、と考えることはやめました。そんなことひなちゃんにしかわからないからです。ただひとつ確かなことは、ひなちゃんに起きたことが僕に起きないとは言い切れないことです。僕の大事な奥さんにも、娘にも、ひなちゃんに起きたようなことがひょっとしたら起きるかもしれない。当たり前のように僕と関わってくれている大切な人たちにも。平均寿命まで生きられる保証はどこにもないんだ、と大切な存在がいなくなってしまったことで僕は学びました。

『死ぬ時に納得できること』が大事だと考えていると冒頭で書きましたが、ひょっとしたら僕の人生の終わりはひなちゃんのように「振り返る時間もなく終わってしまう」ものなのかもしれません。朝が来ることを疑わずに布団に入ってそのまま逝ってしまうかもしれない。死ぬ間際に「わしの人生は…いい人生だった…」という暇もないかもしれない。そう考えると「死ぬ前に納得できればいいや」と思うことすら危険なのかなと思えてきました。

命がいつ終わるかわからない、穏やかに終わることすらできないのかもしれないとすれば、もう僕たちにできることは「毎日納得して生きること」しかないのではないでしょうか。人生の始まりが産声を上げることで、終わりが死ぬ時なのだとしたら。1日のはじまりに目を覚ますことは小さな誕生で、1日の終わりに目を閉じることは小さな死。このミニマムなサイクルの中で「今日も今日とてやりきったぞ」という納得感を持つことだけが、いつ終わるかわからない人生を納得できるようにするための唯一の方法なのではないでしょうか。

毎日生まれる。自分が持っているものを確認する。昨日の自分が残してくれたものを明日の自分につなぐ。寝るときに1日を振り返る。眠りに落ちて死ぬ。明日また運良く生まれることができれば、明日の自分がさらに明後日の自分にバトンを繋いでいく。365回生まれ変われば1年で、1年を3回繰り返せば3年で、80回か90回繰り返せば寿命が尽きる。そう考えると自分のやるべきことは「今日の自分を全うする」ことしかないんだなと思えるようになります。過去の後悔や未来の不安は確かにあるのだけれど、今日の自分の仕事ではない。別の人がやったことを悔やむ意味はないし、別の人が抱えることになる課題を先取りして自分が背負う必要はないのです。

そう考えると、なんだか笑えてきます。未来の自分は「それぞれの今日の自分」の積み重ねでしかなくて、今の自分は「それぞれの昨日までの自分」の積み重ねでしかなくて、過去の自分は「もっと前のそれぞれの自分」の積み重ねでしかない。時間軸の上に膨大な数が自分がいて、それぞれが共同作業をして今の自分を作っている。今の自分もその一因に加わり、未来の自分を作っていく。そして今日の自分は今日死ぬ。細胞がターンオーバーして新しい細胞に生まれ変わっていくように。この文章を書いている自分も今日死にます。あしたの『おはなし屋なおと』は僕ではありません。今日の仕事の上に生まれた明日の僕です。

生きとし生けるものは全て死ぬ。確定事項です。そして僕たちはミニマムに毎日生まれて毎日死んでいくのだとしたら。明日の自分が楽しくなれるように、今日の自分を全うしたい。昨日のあなたと今日のあなたは別の人なのです。そう考えたら毎日が少し楽しくなるかもしれません。いつ終わってしまうかわからない人生を楽しもう。僕はそう思って生きてます。

いただいたサポートはミックスナッツになって僕のお腹の脂肪として蓄えられます。