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夢魂譚(第3稿)

そういえば!──と思い出してコンピュータのなかを探してみたら、ありました。昔の原稿です。「夢魂譚」と書いて「むこんたん」と読みます。特に出典がある言葉ではないですが。

この作品は、学生時代が終わる前に書いて、文芸誌の新人賞に応募しました。1993年のことです。1次選考・2次選考をかいくぐり、うまいこと最終選考まで進んだものの、受賞には至りませんでした。

最終選考のことは、電話で報せがきましたが、会って話がしたいと先方が言うので、いそいそと出版社まで出かけていきました。最終選考なんて初めてだったし、文芸誌の編集者さんと会うのも初めてだったので、来いと言われれば行きましたし、社内の応接室みたいなところに案内されて、選考委員のみなさんが読むのにそなえて手なおしするように勧められれば、改稿も承諾しました。

ただまあ、帰る道すがら、よくよく考えてみたら、せっかく第1次・第2次と選考を通ったのに、手なおしのせいで作品がダメになったらイヤだな、などと心配になったり、こんなところで改稿のチャンスがあるなんて、なんかちょっとアンフェアなんじゃないのかな、などと後ろめたくなったりもしたものですから、けっこう盛りだくさんだった(ような気がする)編集者さんからの指摘についてはあまり気にかけず、ほんとうに手なおし程度のつもりで改稿して、第2稿を提出しました。

ところが、それでおしまいにはしてもらえず、さらなる手なおしを要求されました(そう、二度目は要求でした。最初のときは提案っぽい感じでしたけど)。ああだこうだ言い逃れをして改稿をまぬがれようとしたものの、結局のところ抗いきることはできず、どうにかこうにか書きなおしたのが第3稿でした。新人賞の選考委員のみなさんが読んだのもこの第3稿ですけど、全員から酷評されたのはべつに、改稿のせいではなかったと思います。

今にして思えば、そんなに大した改稿ではなかったような気もしますが、当時としてはそれなりに、気持ちに負荷がかかる出来事でした。

そんな経緯があったせいか、受賞に至らなかったことで、むしろ安堵したりもしましたが、デビューしそこねたことは、ごく単純に残念でした。まだまだ若さをアピールポイントにできそうなお年頃でしたからね! とはいえ、もしこの作品でデビューしていたら、その後どうなっていたかわからない気がする……というのはまあ、考えてもしょうがないことですけど。

でまあ、それから4年の歳月が過ぎて、別の文芸誌で新人賞を受賞しましたが、授賞式後の2次会の場で、なんと、その初めての編集者さんと再会しました(出版社は別でも、文芸誌の編集者同士はお互いに顔見知りなのだということを、このとき知りました)。

4年も前の候補者のことなんて、どうせおぼえてないんだろうな、と思ったのに、「この前の作品より、だいぶ良いよね。いやぁ、よかったよかった、おめでとう!」と気さくに言ってもらえて、なんかちょっと意外だったし、素直にうれしかったりもしたのですが、残念なことに、その編集者さんが口にした〝この前の作品〟のタイトルは、「夢魂譚」ではありませんでした。

タイトルを取り違えて記憶したのかな、とも思いましたが、彼が話す作品の内容そのものも、まったく別物でした。つまり、だれか別の書き手と勘違いしたということです。念のため確認してみると「夢魂譚」というタイトルもその内容も、まったく記憶にないとのことでした。

その編集者さんとはその後、いっしょに仕事をする機会はなかったし、それ以外の関わりもありませんでした。文学的な集まりの場で見かけることは、たまにありましたけど。

ということでまあ、なんともショボくれた境遇の作品なわけですが、そういうものを、ここにこうして並べておくのも、それはそれでいいのかもしれない、と思った次第です。



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