かつてスケボー少年ではなかった
スケートボードに乗って街を駆け抜ける。
その光景がスクリーンに映し出されると、どうしてか心が躍るのだった。
それは、単純にその造形の美しさ、滑らかさ、耳に響くアスファルトとウィールの擦れる音、不格好に途切れる瞬間、それらの組み合わせが、心地良いのだろうか。
二十歳になるかならないかの時に、一度スケートボードを買ったことがあった。恐らく、「ロード・オブ・ドッグタウン」という映画を観たことが影響しているのだろうと思ったが、公開日と年齢が合わない。記憶がどちらか捻れているのだろう。いずれにしても、スケートボードに乗っていた時期があった。渋谷にあるSTORMYだったかムラサキスポーツだったか、で購入したような記憶が残っている。予め組み立てられているものもあれば、そうでないものもあるのだと知ったのは店に入ってからだった。兎に角一番安いものを探した。確か一万円程度だった。何だか恥ずかしく、隠すように抱えながら歩き、電車の窓から外を見ていたのを覚えている。それから、人の気配が少なくなる夜に掛けて、一人でスケートボードを抱えて近所の道を滑った。映画館でポップコーンを噛み締めるように、音を出さないようにという無謀な努力をした。人の姿が見えると、滑るのを止め、道路の端っこで所在なく佇んだ。そんな調子では当然トリックの一つも覚えることもできなく、結局徐々にその夜の徘徊は辞めてしまったのだった。「ロード・オブ・ドッグタウン」に出てくるような仲間はおらず、何時も一人だった。
十年ほど経つと、会社員となった。当然、日常からスケートボードの姿は全く消えている。と言ったものの、日常に溶け込んでいた時代などそもそも無かった。社会に出て働き始めると、「こんなはずじゃなかった」と思うものだ。大なり小なり、多くの人が同様の感覚を持つものだが、当人は自分だけが抱える大きなものだと錯覚する。そんな時に、観に行った映画が「Playback」だった。確か、冬の夜だった。渋谷のユーロスペース、当時はオーディトリウムと言った名の映画館だったと記憶しているが、定かではない。twitterかブログか何かのメディアで目にしたのを切欠に、観にいくことを決めたのだろうと思う。監督が若いこと、海外の映画祭に出品されていることくらいしか情報は無い状態で、ロビーに貼られている雑誌の切り抜きを見ていたことを覚えている。ロビーには多くの人が集っていた。
スケートボードに乗って少年や男が駆け抜けていった。
白黒で映し出されるその映像やしゃがれた男の声、繰り返される景色、他愛も無いやりとり、転がっていくスケートボード、牛乳パックを濯ぐ様でさえ、全てが最高だ、と一人静かに思った。ロビーには監督らしき人物がいたが、「最高でした!」もしくは「最高だったよ!」と伝えることはなく、階段を足早に降りていった。「最高だ」と一人呟きながら駅まで歩いた、と朧げに記憶している。それから、同じ場所で上映される度に、何度か観に行った。何回行ったかは覚えていない。スケートボードカルチャーを映し出すような映画では全くないのだが、日本のスケボー映画の最高峰だと思っている。日本にスケートボードカルチャーがあるのかも、スケボー映画というジャンルがあるのかも、知らない。
2020年の多くの時間は、狭い空間の中で、あっという間に過ぎていった。区切りの無い大きな一塊りのような日々には、当然スケートボードも無ければ、映画館も無かった。夏が終わり始めた頃、久々に映画を観ようと思い立った。渋谷には、多くの新たな商業ビルが立ち並んでいたが、それ以前の街の姿も正確には思い出せなかった。明治通りをスケートボードで駆けていく男がいた。
数ヶ月ぶりに観る映画に、スケートボードに乗る人間が映るであろうものを選んだことには、特別な思いは無かった。それは、ただの選択でしかなく、ただの結果でしかなかった。六十席ほどのこじんまりとしたシアターには、それほど多くの人はいなかったが、マスクを付けながら鑑賞することを求められた。「Minding the Gap」というタイトルが、謙虚に示された。
スケートボードに乗って街を駆け抜ける。
少年、数年後の青年たちは、その瞬間だけに特別な光を放つように見えた。人種問題や貧困問題を始めとする現代の社会課題も描き出されているのだと、それらしく思い掛けたが、世界を映し出せば、それは同時に内包されるものでしかないのだと思い直した。「行き止まりの世界に生まれて」という大仰なタイトルとはある意味相反する、これは個人的な、スケボー映画だと思うのだった。
新たな商業ビルで、大竹彩子という画家の作品を見た。これもまた色や色や色を放っていて「いいぜ!」と思った。
スケートボードに乗って街を駆け抜ける。
その姿はやはり、心が躍るのだった。想定どおりとも言えるビデオが最後に映し出され、少し涙が出たのは、「mid90s」だった。もうあの頃には戻れないんだと思った。が、そんな頃なんて、元から無かったのだった。
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