ウィークリーキュレーションメモ May 4W

これは、一週間に読んだ社会的なコンテンツに「考えたこと」を添えて公開していくものです。どうぞ、興味のある部分をお読み下さい。

承認欲求バブル。

年齢の問題と言うより、SNS慣れしていないかつ承認欲求が高い人が、急にSNSに飛び込んじゃうとまずいってことなんじゃないかな。
SNSも一つの社会みたいに暗黙のルールとかできつつあって、年齢がどうであろうと初心者には作法を教えてあげないとわからないよね。
はじめてのSNSみたいな本は出てきて然るべきというところ。
特にtwitterの仕様だと文脈の共有が極めて難しく、文脈を読もうとする人が少なくなっている気がする。

大前研一さんの本にも書いてあったけど、日本人て根本的な原因を探ろうとしないよね。けむに巻いて終わりみたいな。
それでなんとかなってきたと言う悪しき習慣もあるけれど、本質に迫ることをやってきてないから、「やったことがないから失敗するのが怖い事」として未知への恐怖みたいなのもあるのかも。

テレビ業界打撃はわかるけど、映画業界にプラスなのかな。記事の話だと、家で見れたとしても劇場で見る楽しさも再認識だと書いてあったけど本当にそうかな?人間はやはり楽な方に行くからなぁと思っている。

映画館はこれからも、パブリックスペースとして意味をなすと思う。デートで最初から家に誘うのは憚られるけど、映画館のようなパブリックな場所なら安心するよね。

今回は、色々な側面からの意見が出ている気がする。学校、コーチ、そして選手。「連帯の中の個人」として振る舞った最初の事例なのではと思う。

また、この一連の事件で言うと、セーフティーネットは他になかったのか。もちろん縦社会が強い部活なのだろうけれど、他の選手や先輩なりに話したりして止まる事はできなかったのだろうか。

もし誰にも話せなくて、指導者の意見が絶対で追い詰められていたとしたら、そこに孤独があるように思えるんだけど。憶測に過ぎないのかな。

かつてブレイクした芸人もマス向けに登場するのを辞めただけで、普通に生きてる。だから、多くの人と同じ感じなのだと思う。
自分が何者でもないということを認めたくない人の方が多くて、苦しい。
で、この記事はそういう人のためのちょっとしたライフハックってとこかな。

映画『川の底からこんにちは』の台詞、「私の人生中の下、だからがんばるよ」を彷彿とさせた。

あと、ブレイクって自分の人生で必要なの?ってとこも考えたほうがいい。

生きてきた歴史は変えられないけれど、これからの文脈は自分で作ることができる。そんなメッセージがあるような感じがした。

自分には何かを希求するパッションも、無我夢中になるということも、ない。それが自分のウィークポイントだと、ずっと思っていた。それでも人生は続くし、自分で構築しなければならない。

『絆』ってしきりに言われてもわからない感覚はわかる。見る人が見れば、冷酷な人間なのだろうと思うけれど、今はわかる必要性を感じていない。

でも必要だと思ったら、自分で構築していけばいいんだよなって思う。未来の文脈は作れるのだから。

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