美談の過ち
心がざわざわしてしまう時がある。
例えば、「私は結婚して、とっても幸せ。あなたも早くすればいいのに。」の後。
発言者に悪気がなかったとしても、嫌な気持ちがしてしまうのはなんでだろうと考えていた。
私とあなたは同じと思われているのが嫌なのか?
答えはChikirinの日記にあった。「武勇伝バイアスに気をつけよう」というエントリの中に、
「誰でも(頑張れば)同じことができる」のは明らかに、嘘です。
こういう一文があったのだ。
きっとこれだ。「あなたも(頑張れば)、結婚できて、同じように幸せになれる。」という不確実なことを、もっともらしく言われたのが原因だった。
Chikirinの日記には、「妊娠、出産」といった、更にセンシティブな領域について言及されていた。
典型的なのは、「わたしは、生まれる二日前までバリバリ働いていた。一週間前まで出張してたのよ。」「出産の翌日から仕事のメールにバシバシ返信してた」といったものです。
こういった発言がなぜ罪かというと、非常に個人差の大きな妊娠・出産前後の体調に関して、多くの人に「妊娠や出産は大したことではないらしい」と思わせてしまうからです。
自分がすんなりとできてしまったこと。それを武勇伝として語りたい気持ちもわかる。武勇伝の事例を知ることによって、出産に対して前向きになれる人もいるかもしれない。
だけど、だけどです。それを「正義」として語ってしまうと、それができなかった人は正義を貫けなかったことになってしまう。
みんなが同じようにできる訳ではない。その認識は、しばしば忘れがちになるのだと思う。
「美談は人に押し付けたら美談でなくなるんだよ。」というセリフがあった。
どんなに美しい話しでも、それを他人に強要した瞬間に罪が生まれる。
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