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ジブラーン『火の文字』と、キーツの墓の謎。

 今日は小説でも翻訳でもなく、最近読んだ本『ハリール・ジブラーンの詩』(神谷美恵子、角川文庫)の中の、『火の文字』という詩を読んでいたらぶつかってしまった、ジョン・キーツの墓の謎について書きます。

 まずは、ハリール・ジブラーン(1883〜1931)について軽くご紹介。
ハリール・ジブラーンはレバノン出身の詩人・画家で、人生のほとんどの時間をアメリカ合衆国で暮らしました。彼はベイルート、ボストン、パリで教育を受け、19世紀後半のヨーロッパ近代主義者の影響を受けました。ジブラーンの詩の中でよく知られているものは英語で書かれており、私もPoetry Foundationで彼の英詩と出会いました。ジブラーンはキリスト教徒で、彼自身の独特な宗教観を繊細に表現した詩がとても美しいです。
(ジブラーンの詳細や評価についてはウィキペディアよりもPoetry Foundationのハリール・ジブラーンのページに詳しく書かれていますので、興味がある方はリンク先へどうぞ。)

 次に、翻訳者の神谷美恵子氏(1914〜1979)について。彼女はフーコーの翻訳で有名な精神科医、とのことです。皇太子妃美智子様(当時)からジブラーンの詩集『予言者』を贈られたことが、ジブラーンと触れ合う切っ掛けになったそうです。

 それでは、問題の『火の文字』について。以下に詩と解説の一部を抜粋します。

 『火の文字』より一部抜粋

    「ここに眠るはその名を水で記されたる者なり」ジョン・キーツ

 それならば夜々はわれらの傍を素通りし、
 運命はわれらを踏みにじるにすぎないのか。
 われらは年月にのみこまれ、すべて忘れ去られ、
 インクでなく水で記された名のみ頁に残るのか。
 この生命はかき消され、この愛は消え失せ、
 これらの希望はうすれ行くというのか。

 われらが建てたるものを死がうちこわし、
 われらのことばも風で吹き散らし、
 われらの営為も闇がかくしてしまうのか。
 
 (中略)

 人間とは大海によどむうたかた。
 一瞬水の面に浮かび
 過ぎゆくそよ風にとらえられてしまうものなのか。
 ーーそしてはや存在せぬものとなるのか。

 (中略)

 かの愛しき詩人キーツの歌は
 人びとの心に美への愛を植えつづけている。
 彼がそれを知っていたならば、言ったことだろう。
 「私の墓の上に書け。ここに眠るは天の面に火の文字でその名を記したる者なり」と。

    ーーー『涙と微笑』より
 訳者・神谷美恵子氏 解説文より一部抜粋

 これも重訳で、四行ほど省略したものです。友人にあてた手紙によると、この本にあるかきものはみな、二〇歳ごろ書かれたとのことです。英語への訳の出版は一九五〇年、つまり彼の没後一九年になります。ごらんの通り冒頭に英詩人キーツ(一七九五 ー 一八二一)の墓碑銘として刻まれている文句をかかげています。このことばは、二五歳で逝った天才詩人キーツが自ら選んだものであることを、英文学者藤井治彦氏から教えて頂きました。
 ジブラーンはキーツの墓碑銘に対して、ここで反駁しています。各々の人間の、この世での営みは決して無意味ではない。少なくとも、あとからくる人たちの生を励まし、ゆたかにしているではないか。美の詩人キーツの業績が、何よりもよくそれを証明しているではないか。(以下省略)

 解説者・加賀乙彦氏 解説文より一部抜粋

 私は生まれる前にも存在し、死後も存在するという。すべての人間の、人生には意味があるという力強いメッセージが、キーツの墓碑銘の「水で記された」を「火の文字でその名を記し」に替えられる。


 上記を読んで「あれ?」と思いました。
 ジョン・キーツの墓碑銘は、「水に名を記されし者」じゃなかったっけ?と。
 実際のジョン・キーツの墓碑銘についてはインターネットで検索すれば確認できるのですが、全文は以下の通りです。


ジョン・キーツ墓碑銘、ウィキペディアより抜粋

This Grave / contains all that was Mortal / of a / Young English Poet / Who / on his Death Bed, in the Bitterness of his Heart / at the Malicious Power of his Enemies / Desired / these Words to be / engraven on his Tomb Stone: / Here lies One / Whose Name was writ in Water. 24 February 1821

 

 "Here lies One whose Name was writ in Water."の意味を「ここに眠るは水その名を記されたもの」と取るか、「ここに眠るは水その名を記されたもの」と取るかで意味がちょっと違ってくると思います。人生の儚さを表しているのは同じですが、大気中に蒸発するのと、水の中に溶けるのでは、頭に思い浮かぶイメージが違います。

 そこで、キーツ自身が希望したという墓碑銘の意味や由来について、貴重な休日の時間を割いて調べてみたのですが、はっきりしたことはわかりませんでした。色々な人があれこれ書いていますが、キーツも周辺の人も遠い昔に亡くなってしまったので直接質問することは出来ません、どうしようもないですね。
 一番有力な説はフランシス・ボーモントとジョン・フレッチャーの"The Nice Valour"の第五幕第五場の台詞"All your better deeds / Shall be in water writ, but this in marble."らしい(?)のですが、私は共和制ローマの抒情詩人カトゥルスの『カルミナ』70の中の、下記箇所であると考える説を推したいと思います。

 sed mulier cupido quod dicit amanti in vento et rapida scribere oportet aqua.(女が情熱的な恋人へ言ったことは、風と水の中に書かれるべきだ。)

 詩のミューズに愛され、水の中にその名を書かれたキーツは、人類がこの世界に存在する限り忘れられることはないでしょう。ジブラーンが反駁しなくても、キーツは既に半永久的存在となってしまっていたのです。(それを言っちゃあおしまいだ。)
 さて、そこでもう一度ジブラーンの『火の文字』に目を戻してみると……

 「人間とは大海によどむうたかた。/一瞬水の面に浮かび/過ぎゆくそよ風にとらえられてしまうものなのか。/ーーそしてはや存在せぬものとなるのか。」


 ……もしかして、彼も『カルミナ』を読んでいたのかな?と思いました。

 ただ、私はこの詩『火の文字』のジブラーンには共感できないんです。キーツの絶望を思えば、こんな励ましの言葉は言えないんじゃないか、と。冒頭で述べた通り、ジブラーンは彼独自のキリスト教的宗教観があるようなので、ちょっと一言言いたくなったのかもしれませんが。

 何だか尻切れとんぼみたいな記事になってしまいました。
 最後に。キーツもジブラーンもPoetry foundationに作品が掲載されています(勿論全部ではないですが)。また、今回私が購入した角川文庫版は電子書籍版でも販売されており驚きの安さなので、詩が好きな方に強くお勧めします。

 そして、ラテン語の質問に答えてくれた友人よ、ありがとう。この記事のことは恥ずかしいから教えてないけど。

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