『未完の告白』(アンドレ・ジッド)読了。

 ジッドの小説を初めて読みました。本当は『地の糧』を読んでみたかったのですが、電子書籍ですぐに手に入るものが『未完の告白』だったので(しかもとても安かった)、取り敢えずポチッと買って読んでみたのですが……。うーん……。古臭いというか、青臭いというか、アカ臭いというか……(どれだ)。当時はきっと最先端だったのだろうと思いますが。正直あまり好きなタイプの小説ではなかったので感想を書くのも面倒くさくてどうしようかなと思ったのですが、せっかく読んだので少し書きます。読んでから数日が経過しており、記憶も薄れつつあるのですが。

 最初に、本作の周辺情報について。
 後書きによると、本書は『女の学校』『ロベール』とともに三部作をなしているらしいです。私は勿論『女の学校』『ロベール』は読んでいません。『未完の告白』を読み終わった今となっては、他二作は読む気も起きないです。そして『未完の告白』発表の時期ですが、ジッドがソ連への激しい共感を示して世界の知識人を仰天させた後、とのことです。その部分を読んで、「ハーン、なるほどねー。」と合点がいきました。主人公がやたら文学を否定してみたり(読んでいて恥ずかしくなってくる)、無為な人生を送りたくない(周囲の奥様方みたいに暇そうなのは嫌だということだと受け止めました)と、胸の中でアカい炎を燃えたぎらせているのです。が、主人公は不平等な時代に生きる若い女学生(※但し途中で退学している)ですから、まあ仕方ないですね。今の時代の成熟した大人がこんなこと言ってたら流石にどうかと思いますが。

詩はもとより、文学までが、私には、無為な生活に咲く花のように思われました。そして私は、この無為というものが、身の毛もよだつほどきらいなのでした。

 時代的に仕方ないとは思いますが、異なる時代・異なる立場の人間から見ると「よぉ、肩に力、入りすぎじゃないか?」と思えます。この主人公のように肩パッドに棘を生やしたような考え方のまま大人になり突き進むと、やがては「愚民は啓蒙だ〜!」とモヒカン姿でバイクに乗って他所の文化を破壊して回る人間になりそうです。この小説はフィクションなので主人公は勿論実在ではなくジッドの思想の投影と考えられます、つまり、ジッド自身がそういった思想の持ち主だったんでしょうね。私は個人的に苦手だし、世界を混沌と破滅へと追いやっている原因の一つだと思っています。そういう上から目線の思想は、善人の仮面を被った悪魔みたいなもの……いや、「地獄への道は善意で舗装されている」の善意そのものである、と言った方が適切ですかね。そういった思想に対しては、私はすっかり冷めてしまい、もう同調できません。

 それともう一つ、膿んだ家族関係。これも典型だな、と思いました。薄っぺらくて父権主義丸出し・とことんダメな父親に、抱えたモヤモヤを娘に押し付けて娘の人生の中で「我が人生のやり直し」映画を上映しようとする母親……。父親が実際にどこまでダメ人間なのか、本当のところはわかりませんが。なぜなら、その様子は主人公の目を通さなければわかりませんので、多少バイアスはかかっているでしょうね。

私の母の若かったころには、一人の女性は自分の自由をねがうことができました。しかし今日においては、もはや、それをねがうことは問題ではなくて、それを奪い取らねばならないのです。いかにして、またいかなる目的のために奪わねばならないのか!これこそ重要なことであり、また私の言おうと努めているところでございます。

 とっても檄文チック……。きっと、若い人はこの文章を読むと熱くなるんだろうな、スーパーフェミニストの人は「激しく同意!」と首を縦にブンブン振るんだろうな、と思いますが……資本主義に牛耳られたエリートフェミニズムの惨状、ミサンドリに陥りかねない母娘関係やシスターフッドの強調のようなバランスを失った思想には私はどうしても共感できないので、のめり込むことができませんでした。
 特に後半、主人公がマルシャン先生(既婚男性)に対して、子供が欲しい・結婚はしたくない・マルシャン先生の子供が欲しい・子供を産むのには必ずしも愛は必要としない、等と爆弾発言を連発するあたり、「ここここいつ、何言ってだあああ!」と、読んでいる私が主人公の軽薄さと暴走に恥ずかしくなり、床をゴロゴロ転がりたくなりました。
 その後の部分で、精神と肉体の不一致や、自分が幼かったことについて、当時を振り返っているふうに言い訳がましくああだこうだと書いているので、成長した主人公は迷走していた人生を軌道修正することができたのだろう、とは思いますが、この小説は「未完」なので、ほぼ主人公の黒歴史部分だけで終わっています。読後感……とても痛いです。後書きによると

「どこを通るかはほとんど問題ではない。ただどこへ向って行くかが問題である」という信条を持って、少女が人生に大胆に乗り出して行く姿を描こうとしたらしいが、ついに完成しなかった。

とのことなので、主人公が七転八倒している過程は大した問題ではないということなのかもしれませんが……何だかこう、モヤモヤっと、澱のように心に残っています。

 ところでこの小説で唯一「素敵だな。」と思えた部分があります。(逆に言うと、それしかない。)主人公が恋したサラという少女の言葉です。詩に対する感受性が全く欠如している主人公が、詩の朗読が得意なサラに対して投げかけた愚問に対し、サラはとてもロマンチックな回答をします。

「サラ」と、しばらくして私は言いました。「それがどんなに美しくたって、私たちはこの詩の世界に住むことも、またその中で何かすることもできないんでしょう。それなのに、なぜそれに対するノスタルジーを与えようとなさるの?」「だって、私たちの気分次第で、そこに住めるのよ」と、彼女は答えました。

 主人公的には「ハア?」という感想を抱いたのではないかと思います。後になって主人公とその友人ジゼールがサラについて言及した際、主人公はサラの頭が悪い的なことをポロッと言っています。

「肉体的な魅力は、私にとっては、頭脳や心が持ってるある長所ほど重要ではないからよ。ちょうどこの長所が、サラには欠けているのよ。そして、あんたにはそれがあるのよ」
「残念ね、私に男の兄弟がないのが」と、いきなりジゼールが笑いながら言いました。

 この二人、すごく嫌だな、傲慢だな、と思ったんですよね。ここまで書いてみて気がついたんですが、私この主人公すごく嫌いです。今気づきました。よく最後までこの小説読んだなあと思います。

 他にも色々考えてマーカー引いたりした部分もあったんですが、主人公のことが嫌いなので、書くのはやめておきます。
 どちらかというと若い人向けの小説だと思いますが、未成年の若者に一冊必読書を推薦するとしたら、この本ではないです。別に読むなとは言いませんが、時代遅れで一方的で傲慢な本なので、書いてあることはそのまま飲み込まずに参考として受け取るのが良いんじゃないかと思います。

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