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サンタさんはいるのか。クリスマスになると思い出すプレゼントの話

今日はクリスマスイブ。ふと、幼少期を思い出した。

行事を大切にする両親は、毎年12月になるとサンタさんにお願いするクリスマスプレゼントの内容を私に尋ねた。しかし、小さいころから物欲があまりなく、欲しいものを考えるのはとても難しかった。だからいつも、チラシやCMで目にしたものをとりあえずリクエストし、「サンタさんへ」と書いた手紙を両親へ渡した。

ぶっちゃけ、プレゼントよりも食事のほうが楽しみだった。我が家ではクリスマスイブにクリスマスらしい食事をする。七面鳥や洋風のサラダ、そしてケーキ。甘いものが苦手な私は、七面鳥やおつまみのチーズが特に好きだった。イブの夜はサンタさんに何をお願いしたかも忘れてぐっすり眠った。

翌朝のクリスマス。ベッド横のプレゼントを見つけ、「お父さん、お母さん!見てみて!サンタさんが来てくれたよ!」と大はしゃぎで包装紙を開ける。中身よりも「私への贈り物」ということに喜んでいた。

小学校中学年くらいになると、クリスマス前の教室内はこの噂でもちきりになる。「サンタさんはどうやら両親らしい」と。両親が夜中にこっそりプレゼントを置いて行くのをみたという子も現れる。そして「サンタさんの存在を信じるヤツはダサい」という風潮が広まる。実際私はクリスマスの夜に忍び足の両親を見たことがないが、ダサい奴になりたくはないので「サンタさんはいないんだろうなあ」と思うようになった。

小学校高学年になった十余年前、クリスマスの数日前に祖父が亡くなった。大好きなおじいちゃんの死が悲しくて、クリスマスどころではなかった。仏教徒なのでお葬式の会食も和食。「子どもはエビフライが好き」と思い込む親戚一同、クリスマスなのに和食で可哀想と労ってくれた。私はエビフライよりも煮物などの和食のほうが好きだったので、会食の料理になんら不満はなかったのだけれど。

祖父の家は実家と少し離れた場所にあったため、クリスマス当日、枕元にプレゼントはなかった。その年は12月恒例のサンタさんへのリクエストもなかったし、祖父のお見舞いで忙しかった両親はそれどころではなかったようだ。当たり前のことだ。私もそりゃそうだと納得していた。

一段落して数日後に実家へ戻ると、ベッドの上にプレゼントがあった。私は思わず泣いてしまった。実の父を亡くし、悲しみに暮れる両親が娘のためのにひっそり準備してくれていた。いつ準備したのかはわからないが、娘はクリスマスを楽しみにしているだろう、と準備したに違いない。

涙がおさまってから「お父さん、お母さん!サンタさん来てた!」とプレゼントを持ってリビングに行った。見覚えのある洋服店の袋だった。以前、買ったことがある。「この袋、○○だ!洋服かな?」口にして、しまったと思った。中身は洋服だったが、袋とは別の店のものだった。おそらく準備してから家にあった袋に入れたのだろう。両親の優しさを踏みにじるわけにはいかない。別の話題にすり替えなきゃと思い、「サンタさん、こっちのおうちにプレゼントを届けてくれたんだね」と言った。母は「おじいちゃんの家はサンタさん知らなかったんだね。プレゼントよかったね」と答えた。私はそのとき両親の顔を見ることができなかったので、どんな表情をしていたのか知らない。

クリスマスプレゼントをいつまで貰っていたのかはっきりと覚えていない。一人暮らしをしてからはさすがにサンタさんは来なかった。あるとき、ふと両親に「サンタさんはどうして子どもがいる家を知っているんだろうね」と問いかけてみた。すると母は「サンタさんに住民票を送るんだよ」と答えた。そんなの初耳だ。教室でも聞いたことがない。サンタさんは行政の務め人なのか?思わず笑ってしまった。「じゃあ独り暮らしの今の住所を送ったらサンタさん来てくれるかな」と言ってみたら、母は「大人だからどうだろうね」と答えた。

サンタさんは外国のおじさんかもしれないし、両親かもしれないし、公務員かもしれない。何者かは分からないが、どうやらサンタさんはいるらしい。

私はいつのまにか卒業してしまったが、明日の朝プレゼントを開けて喜ぶ子どもたちがいるんだろうなと思うと、少し温かい気持ちになる。

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