8/7:カウンセリングまとめ

カウンセリング行ってきた。
全肯定されて帰ってきた。
何も悲しくはないけどべしょべしょに泣いてる、ほぼ生理現象だ。
以下、貰った意見と、感想。





・このクソ意思の強いゼロ100思考の性格はもう変わらないし、それでいいものだから大切にした方がいい。

“信仰”は自由だけど結局私はカミサマにはなれない。そうだね。今回これ3回くらい言われた。それだけ私は私の性格が嫌だって伝わってたってことだ。ね、うん、わかるよ。私も私の性格は得ようとして得られるものではないとわかってる。絶対は中庸を演じれるけど中庸は絶対にはなれない。ただそれを尊べるようになるにはまだ、トラウマが、あるんだ。


・心と体を健康に保つことが幸福だし、いつ人生終わるかわからんのだからこの最後の余暇はできるだけ楽しいことして過ごした方がいいかな。むしろ恋愛とか嫌なことを最後の夏休みにやる方が勿体ないかも。

いや、確かに。それはそうすぎる、私元来享楽主義だし。今回は罪悪感が多くてそうできないだけで、実際そうした方がいいんだ、悔いが残らないから。でも病まない自信ないよ…。


・恋愛は基本勘違いだし、結婚してからなんか違うって離婚する人もいっぱいいる。

だから勘違いできなきゃそれでいいんじゃないか、って解釈した。


・私の、人の感情の機微を上手く察せない、言葉にされないと分からない、自分の性格が激しすぎて相手する人が可哀想、などが恋愛のネックになっているのなら、もしかしたら10歳年上の人に対して傍若無人に振る舞って甘やかされるとか、言葉による相互理解が前提の外国人の方が上手くハマるのかな。
あと、お見合いもそんなに悪くはないよ。

や、確かに。ただ10歳年下を恋愛対象にする年上ってどうなん?と、日本人女性を好きになる外国人って善し悪しの振れ幅結構でかいから人を見る目がない私には結構難しいかもと思ったし言ったら、そうだね、と。
お見合い、やっぱいいよなー。むしろ向いてる気はする。


・セクシャリティとか結婚とか子供とかは、今は決めなくてもいい、特にセクシャリティは今決めない方がいいかなって思った私の意見には同意。25、6になって差し迫ってきた時にさてどうする?で全然大丈夫だと思う。
嫌なことは先延ばしにしていい。

これ一番救われた。ありきたりだし言うだけかもしれないけど、先延ばしってしていいんだなぁ。恋愛と受験って何が違うのかしら。


・普遍的な“好き”があっても、肩とか寄せてこられていいよって人とやだなって人がいる。やだなって人を排除したらいいのでは?

確かに思うことはある。でもそのやだなってのを呑み込むことも別にできるんですよねっていったらそっかーっていってた。あんまりやらない方がいいよ、と言ってくれたけど。
私多分、「なんで私だけ遠慮しなきゃならないの」って思考が薄いし、そういう考え方が嫌いなのかも。我慢ができない性格だから、我慢に憧れがあるんだ。


アホかってくらい泣いたので、ちょっとスッキリしてる。ね。確かに、好きなことしてた方が楽しいし、素敵だと思う。21から人生80年を見据えてるのはむしろ損だって、そうかもしれない。私忘れっぽいから、大学最後の余暇に何してたかって思い返しても、後悔なんかしないのかもしれない。
そもそも、もう就活は終わってるわけで、一人で生きる手立ては一応出来てるのだ。今恋愛をしなくてこの先苦労することはあるかもしれないけど、人生が終わるわけじゃない。受験との違いってここかな。受験はやっとかないと今の日本社会じゃ選択肢がそれなりに狭まるけど、恋愛は無理にやったとて成果が出るかは未知数だ。勘違いで進むことが多いのも、そういうことなのかも。種を蒔けば必ず実をつけるような、そんな簡単で着実にはいかないのだ。



追記:
思ったより、「人生楽しんだ方がいいよ」ってアドバイスが効いてる。
多分私、許されたかったんだ。

もし普通の人へ擬態をやめたら、私は私にしかわからない文法で話すし、話題ないねって悪意なく言うし、喋るの飽きたら黙るし、自分のことを棚に上げて人に意見するし世話するし、下心なく感情と衝動で人の肩を叩くし手を握るし、現実の出会いと別れじゃ泣かないし、相手の背景事情なんて鑑みないで話をするし、人の好感度も理解しないし、嫌なことはずっと嫌で、好きなことはずっと好きだし、人間は大体好きで嫌いで、素晴らしく最悪で、素晴らしく自由なバケモンになる。これが私の本質だ。無邪気に無自覚に無差別に他人へ害と愛を振り撒くどうしようもない自我のバケモンだ。そこには意図なんてない。全部衝動だ。カウンセラーの先生は言った、「でも、どうして自分だけこんなに配慮しなきゃいけないのとは思いませんか?」先生、逆です。素で何も配慮できないから、せめてもの人間性の証として、我慢と配慮をしているんです。人間の形に成型しているんです、これでも。現実はRPGじゃないんだから、他の人間は私みたいなバケモンに遭遇してはいけないのです。

先生、それでも私、好きなように生きてもいいですか。
誰かを傷つけている自覚があって、バケモンという自覚があって、自分を許さないでいるのなら、私はバケモンのままでも許されますか。
親は悲しむでしょう。
友人は憐れむでしょう。
でも彼らは私より先に死に、私より後に死ぬ生きものだからと血も涙もなく割り切って、私しかいない道を私だけが歩いてもいいでしょうか。

私しかいない世界では、きっと私は後悔しない。私の後悔は誰かを傷つけた瞬間から始まるからだ。私は私の選択を悔いたことがない。選択する時は絶対に、私はバケモンの人格で道を選ぶからだ。だからきっと、バケモンでいることを許すなら、その状態で犯す罪を許すなら、私は後悔しないのだ。
ああ、なんて最悪で、なんて幸福な人生だろう!そう生きられたらと、望んでしまってもいいですか、先生。

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