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【最新作云々③】乗り遅れたこの一週間... ようやくの『シン・ウルトラマン』に様式美と白樺派を垣間見た話。

 結論から言おう‼・・・・・・・こんにちは。(゚∀゚)
 
二十代のフリーターの頃、同僚の韓国から留学されてる女子大生に「夏休みに帰省するけどお土産何がほしいですか?」と尋ねられたので、勢い、「テコンVのおもちゃ買ってきて!」って一万円渡したらホントに買ってきてもらえた、O次郎です。

マルチバースの別世界ではきっとスパロボに出てる、かもしれない。
換装で武装バリエーションはかなり豊富なハズ。

 先週末、ようやっと『シン・ウルトラマン』を劇場で観られました。
他にも数本ハシゴして観たんですが、今回はひとまずシントラマンだけで書こうと思います。
 公開一週間で既に味わい尽くされて書き尽くされた感がありますが、それでもせっかくの時には起こせよムーヴメントな作品なので、逆張りしたりせずに乗っかって個人的に感じたあれこれをこねくり回して認めます。 ※トップ画像は逆張りさせていただきましたが・・・許してちょ。
 ちなみに私は昭和60年生まれなので、当時の円谷プロはTBSとの不仲やタイの会社との海外販売権を巡るトラブルの真っ最中、リアルタイムウルトラの思い出としては米豪との合作の『グレート』『パワード』や、出光とタイアップした異端作の『ゼアス』あたりが最初。テレビシリーズについては再放送での『タロウ』があったぐらいで、特撮ヒーローものから離れようとする小学校高学年ごろにようやく『ティガ』がスタートし、V6ファンだった姉と一緒に観ていた、という世代です。
 そうした幼少期にウルトラマンとがっつり四つに組んでいなかった中途半端な年代のおじさんの感想の一つとして読んでいただければ之幸いでございます。
 ちなみにネタバレを含むので、これから観るので避けたいという方はお気を付けくださいまし。
 それでは・・・・・・ペギアボグドロンケロダダタッコペステール!!

そうだ、「コミックボンボン」で連載されてたギャグ漫画の『ウルトラ忍法帖』。
これもリアルタイムウルトラの思い出にカウントしてイイよね?



Ⅰ. 概要について

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%B3

 全体としてつとに感じたのは、「尺」と「統一感」を守ることに相当な心血が注がれてるな、ということ。
 「尺」については、オリジナルの怪獣の中から厳選して登場してもらった禍威獣および外星人に物語内で十二分に活躍してもらうべく、禍特対の面々は常に誰かしらと直接的・間接的に戦っていて、ただでさえ長くなるヒーロー誕生譚を含めた物語が二時間を切る尺に収まっているのは、2時間半から3時間尺もザラな近々のMAVELやDCの作品を観ている身からするとそれだけで凄いと思ってしまう。もちろん、背後には劇場での回転を多くするためとか、後にディレクターズカット版を作ればいいとか、マネー事情が潜んでいるにせよ、満足感は損なわずに断腸の思いで限界までスリム化する日本映画としての執念は疑うべくも無し。
 では一方で削ぎ落されたものが何かといえば、一つにはオリジナルの科特隊が醸し出していた"部活"のような隊員間の触れ合いではなかろうか。オリジナルの方では子どもの隊員も普通に基地に出入りしていたのでさすがにそれは現代では緩すぎると思うが、当初はチグハグだったコンビネーションが徐々に上手く行ったり、それまで少しずつ築き上げてきた信頼関係が終盤に一気に瓦解するという展開はベタであっても胸躍るもの。
 当初は終盤にメイン二人の軽いラブシーンが入る予定だった、ということだが、それらのお約束をオミットしたことが、女性視聴者からの支持をもうひとつ掴み切れない、という結果になったということは言えまいか。男性目線からすると、定期的に映画やTVで流れる旬の若手俳優さんの恋愛映画はみんな同じに見えてしまいがちだが、それだけベタにニーズが有ってそれに応える必要が有るのは間違いなく、また、お約束の展開の中にこそ作り手の作家性が顕れる、というのも事実なので、常時フルスロットルの二時間に興奮してのめり込んだ人と、”もういいや”と見送った人に分かれた作品、ということかもしれない。
 
 「統一感」については、偽善やメロドラマを排した結果、目を背けたり退屈することなく物語を追えた一方で、ウルトラマンから地球人類への最終的な”人間万歳”という武者小路実篤的判断のためにそれぞれの禍威獣・外星人が配されているのが感じられて、観終わった後は禍特対とその周囲の人たちの悲喜こもごもや権謀術数すらもそのゴールに引っ張られていた印象は拭えないところ。
 後述の通り、もし”ジャミラ”の採用が有れば、キャッチコピーの「そんなに人間が好きになったのか、ウルトラマン。」に結びつくのは怪しかっただろうし、もう一つの「空想と浪漫。そして、友情。」についても、”愛(もっと言えば性愛)”にまつわるエトセトラが本編内で削がれている以上、それを抜きにしてラストでゾーフィに人間の存在肯定を訴えて共に生きることを選ぶウルトラマンの人間理解は片手落ちだったように見えてしまった。

 とどのつまり、今回のシン・ウルトラマンのデザイン同様、”カッコ悪い部分を削ぎ落してカッコ良い”のであって、”カッコ悪い部分も含めてカッコ良い”のではない、ということがストーリーに関しても言えるように個人的には思いました。


Ⅱ. 個人的にシビれた場面

・ウルトラマンの縦回転

 画像が出てこない・・・。
 これも”ハイスピン”の一種なのか。パゴスにグルングルン縦回転しながらぶつかったヤツ。幼少期にウルトラマンと怪獣のソフビで何度となく再現してたからたぶん過去作で実際にやってたと思うんだけど・・・初代?タロウ?。そして、スペシウム光線で爆破させるわけにいかないから怒りのメガトンパンチ一発で倒したのもなんかとても染みた。

・対ザラブのスパイ戦

まぁ、さすがにアストンマーチンというわけにはいかないよね・・・。

 オリジナル版、特に昭和のウルトラシリーズだとあんだけ手の込んだ心理戦はまず無かった筈だけどスリリングだったからいいじゃない! 
 たぶん、他の対決と違ってギミックに関する合理的な説明台詞がそこまで多くなかったのも良かったんだと思う。

・田村班長の机

そういえば、禍特対のウルトラ・ホーク的な機体、全く出てなかったね。
それとも、冒頭のウルトラQ原典のスライドのあたりでチラッと出てた?

 置いてあったKATO太くんのぬいぐるみ、(お役所がデザインしたにしては)かわいい。それでいいじゃないか。


Ⅲ. 個人的にムムムッっとなった点

・冒頭の『ウルトラQ』消化シークエンスの性急感

”矢継ぎ早な説明”といったらコレ。
”温めますか?””ああ、たのむ。”

 過去のマンモスフラワーだったりぺギラだったりの処置と撃退がダイジェスト的に語られて禍特対の結成に繋げるのはいいとして、テロップまで早すぎるのは如何なものか。
 その直後のウルトラマンの初戦時に早々にウルトラマンと神永さんが融合してしまうので、その前のこの冒頭シークエンスで神永さん一個人の人間性を端的に示してくれると尚良かった、と思うんですが如何なもんでしょうか。

・”ジャミラ”の不在

すんません…『稲中』世代なもんで、
どうしてもコッチの画像を引用しちゃうんですわ。

 東西冷戦下の宇宙開発競争の中、未知の惑星に不時着したまま救助されることも無く環境に適合して復讐に舞い戻った宇宙飛行士の成れの果て。
 ”元人間という事実を伏せられて怪獣として葬られた”という初代ウルトラマンの反骨精神の塊のような問題作にして超人気エピソードなので、ジャミラがオミットされたことに内心残念な思いの人はきっと多いハズ。
 この人間の醜悪なエゴの結晶のような怪獣が『シン』の世界にも生れ落ちていたとしたら、果たしてウルトラマンが同じ決断を下していたか?と思うと、彼が登場していた物語が見たくて堪らなくなる次第です。


ダダの不在

”ダダダダダッッ!!!”

 ザラブやメフィラスのリファインされたデザインも素晴らしかったんですが、個人的には当時隆盛だったポップアートを取り入れたダダのデザインだったらどう現代的に料理されていたか、というのが気になりました。
 加えて、戦闘力的には最弱レベルだったということもあり、シントラマンで登場したとしたらどのように”最弱描写”されていたかも興味しんしん丸。

 

Ⅲ. おわりに

 はてさて、ラスボスがゼットンということはオリジナルと同じですが、『シン・ウルトラマン』でのゼットンはなんとゾーフィが地球人を滅ぼすために光の星から持って来た兵器で、地球を含めた太陽系全体を消滅させることが出来るというデウス・エクス・マキナな代物。
 ”宇宙全体の平和を唯一至上の目的とする高次元存在 VS 地球人類”という、『無敵超人ザンボット3』から数えてでも半世紀近く続くSFテンプレ展開ではありますが、そこで個人的に思い出したのがコチラ。

”六・神・合・体!!”じゃない方。

 ”主人公が他の星からやってきた存在で、地球と人類が滅ぼすべき存在かどうか監視し、そうであれば抹殺する”という立ち位置はまさに『シン・ウルトラマン』に於けるウルトラマンやゼットンのそれで、違いはと言えば70年代半ばの冷戦激化の一途の世の中を憂いた作者の光輝先生が作中で本当に地球を滅亡させた、というところ。

”バルス!!”みたいなね。

 『シン』では、人類の英知を結集した方法論にウルトラマンの助力を得てゼットンを倒す、という結末でしたが、オリジナルのゼットンはウルトラマンを完全に倒してしまい、侵攻を続けるゼットンに対して科特隊の科学者が開発した『無重力弾』でゼットンを仕留める、という展開でした。そこには当然、”ウルトラマンですら圧倒する力をさらに凌駕する力を生み出す人類”に対するアンチテーゼが含まれており、次作の『ウルトラセブン』の一篇「超兵器R1号」でも同じテーマが描かれています。
 無いものねだりは承知のうえですが、人類を滅ぼすまではいかずとも、初代の放映時から半世紀経っても堂々巡りの様相の人類にクギを刺すシントラマン、というのも見てみたかった気はします。

 そしてまた、本作で早くも
〇オリジナル作品の造形・BGM・演出の現代的オマージュ
〇落語のようにお洒落に腐された政治劇
〇特徴的なアングルの繰り返しによる親近感ないし疎外感の強調

という『シン・~』シリーズの金型化が見えてきたのがどうにも危険信号のように思えます。余談ながらこの三点目に関しては、本来はまだまだ妙齢で”美人女優”の名をほしいままにしているはずの長澤まさみさんと早見あかりさんの二十顎が気になって仕方ない仰望アングルの多用は執念すら感じるレベルです。
 ここは是非とも『シン・仮面ライダー』まででいったん打ち止めとし、クラウドファンディングなりで「庵野監督に商業的に盛大にコケてもいいから金型をぶち壊す作品」を作ってもらう、のがクリエイター側的にも視聴者側的にも良いように思えます。長い目で見ると、これが路線化して喜ぶのはきっと投資サイドだけなのではないでしょうか。

例えば・・・・・・また実写作品撮ってもらう?


 というわけで今回はこのへんで。
 先週末に観た他の映画の話もまた近々書かせていただきますので、それでは・・・・・・どうぞよしなに。







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